ムエダ、記憶と虐殺(1979)
Mueda, Memory and Massacre
監督:ルイ・ゲーハ
評価:60点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
イメージフォーラム・フェスティバル2025にてモザンビーク初の長編映画とされている『ムエダ、記憶と虐殺』を観た。
『ムエダ、記憶と虐殺』あらすじ
シネマ・ノーヴォの旗手、ルイ・ゲーハによる植民地時代の虐殺の記憶を革命の祝祭へと転化させる、近年デジタルリマスター化された歴史的作品。
1960年6月16日、ムエダにおいてポルトガル軍が抗議する市民に銃口を向け600人以上が虐殺された。モザンビークの歴史において反植民地闘争の嚆矢となった事件を、独立後にムエダのその地で再演したルイ・ゲーハの映画作品。モザンビーク初の長編映画とされ、脱植民地の過程で重要な役割を果たした政治映画の傑作を日本初公開。
※イメージフォーラム・フェスティバル2025より引用
モザンビークでは移動式上映で本作が観られている
モザンビーク解放戦線(FRELIMO)が独立後に、映画によって民意を向上させようとした。シネマ・ノーヴォの旗手ことルイ・ゲーハによる『ムエダ、記憶と虐殺』は、横暴なポルトガル軍による虐殺の歴史を後世に伝えようとする再演のアーカイブの役割がある。群衆群がる広場にてボスが「カメラが来ている。これは国外へこの地の痛ましき歴史を伝える目的があるので、真剣に再演に取り組んでほしい」と演説するところから始まる。ポルトガル軍は現地民が誇張された白い鼻をつけて演じる。この地に居座り横暴な態度を取るポルトガル軍に対する申し入れが反復される。やがてそれが暴動へと発展する。映画としては単調なのだが、この手のワールドシネマで重要なのは目的である。本作はアーカイブの側面があり、その点で評価されていることは念頭にいれておく必要がある。上映後に本作のキュレーターであるブンガ・シアギアンによる解説及びQ&Aが実施された。せっかくなので、モザンビークでは今でもこの映画が観られているのかといったことを質問した。実際にモザンビークでは移動式上映の形態でFRELIMOが主体となって巡業されているようである。モザンビーク人の間でもこの惨劇の再演は共有されているとのこと。その後、モザンビーク研究者の方が、「だとするとプロパガンダ的に使用されている可能性があるのでは?」といった質問があり、その上での本作の立ち位置について考える機会が設けられた。プロパガンダは時代によって意味が異なるとした上でブンガ氏は、そもそも独立や革命のことを知らないモザンビークの人たちにその手法を伝えていく目的が本作にあり、そこが評価のポイントであると答えていた。有意義なトークショーだったと思う。