SEX(2024)
監督:ダーグ・ヨハン・ハウゲルード
出演:トルビョルン・ハール、ヤン・グンナー・ロイゼ、シリ・フォルバーグ、ビルギッテ・ラーセンetc
評価:90点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下にて開催中の「オスロ、3つの愛の風景」にて3本観て来た。『SEX』『LOVE』は昨年に鑑賞しているのだが、あまりにも理論と英語が難しすぎて、凄い気配を感じるもののその芯に到達することができず、しょうもないレビューをネットに晒すこととなった。
今回『SEX』を観直したところ、確かに日本語字幕付きでも理論に難しさを抱きつつ、デヴィッド・クローネンバーグ『クラッシュ』との類似性を見出すことができた。
『SEX』あらすじ
ベストセラー作家や図書館司書という経歴を持つノルウェーのダーグ・ヨハン・ハウゲルード監督が、ノルウェーの首都オスロを舞台に「恋」「愛」「性」にまつわる3つの風景を描くトリロジーの第1作。妻子のいる2人の男性が、とある体験から「男らしさ」について再考していく姿を、コメディタッチで描き出す。
煙突掃除人として働く、妻子持ちの2人の男。ひとりは客先の男性との思いがけないセックスで新しい刺激を覚えるが、悪びれることなく妻にその体験を話したことで夫婦仲がこじれてしまう。もうひとりは、デビッド・ボウイに女性として意識される夢を見たことから、自分という人格が他人の視線によりどのように形成されているのか気になりはじめる。それぞれ良き父、良き夫として過ごしてきた彼らは、自らの「男らしさ」やアイデンティティと向き合っていくことになる。
2024年・第74回ベルリン国際映画祭でエキュメニカル審査員賞など3部門を受賞。日本では25年9月、特集上映「オスロ、3つの愛の風景」にて、トリロジーの「LOVE」「DREAMS」とともに劇場公開。
クローネンバーグ『クラッシュ』を現実に寄せながら
『SEX』において、道路が象徴的に捉えられる。そこからデヴィッド・クローネンバーグ『クラッシュ』を連想する。
高速道路が映し出される。車はA地点からB地点にまっすぐ向かおうとしている。社会のシステムから逸脱することを許さないように従順である。そこに、カリスマ的交通事故マニアであるヴォーンは、まるで男女が交わる時のピストン運動のように、右へ左へと肉体的動きを車に宿し、煽り運転しながら欲情する。交通事故で、肉体に金属を埋め込まれ、自由な動きをする肉体が制御されていく様子。車の屋根が閉まる動作に併せて乳房がボロンと開く機械の動きと連動する肉体。そして、交通事故を通じて、制御された機械が制御できないひしゃげ方と煙の噴出が生まれる様子に快感を覚える姿にそれが見えてくる。
『SEX』の場合、社会規範からの逸脱による葛藤をテーマとしており、ふたりの煙突掃除人を取り巻く世界を象徴するように道路が映し出されているように思える。煙突掃除人のひとりは、夢にデヴィッド・ボウイが現れ、そして夢の中の自分が女性のように認識されていたと語る。片方は、クライアントの男性とSEXをしたと語っており不倫の境界線について考えている。どちらも、突然浮上した感情と肉体との関係のアンバランスさに困惑しながらどのように折り合いをつけるか悩んでいる。
他の作品を観るとわかるのだが、ダーグ・ヨハン・ハウゲルード監督は安易なゲイ、同性愛といった言葉で個人を囲い込む行為は暴力的であるとし、既存の単語に囚われることなく言葉を積み重ねる中で親密な関係を生み出そうとしている。元々、小説家だったこともあり文学チックな語りではある者の、それをどのように映画的演出に落とし込むのかを考え抜いた演出でこの難しい議題に挑む。
まず、長回しに注目してほしい。最初の対話では、デヴィッド・ボウイの夢を見る男を正面から捉えながらやがてカメラがパンしていき、空間の境界を中心に据えながらふたりを捉える。これは互いにセンシティブな話に間合いを取っている状況を示している。交わらなさを象徴した構図は二項対立の予感をさせるが、映画は男女の垣根すら超えたニュートラルな本質を掴もうとする。皮が剥ける、背中にフランク・ロイド・ライトと刻んだ者を再び愛するようになる挿話、妻への独白の際には異なる表情を提示する、忘却といった要素が個人の中で渦巻く複雑さを複雑なまま汲み取り、それでも人生は前へ進むことを肯定的に描いている。
そしてラストでは、新しい感覚を得たことで肉体と精神がシンクロした様を身体表象、そして道路との融合でもって提示する。豊かな人生賛歌であった。
※映画.comより画像引用