『遠い山なみの光』トラウマは真実を語れるのか

遠い山なみの光(2025)
A Pale View of Hills

監督:石川慶
出演:広瀬すず、二階堂ふみ、吉田羊、カミラ・アイコetc

評価:75点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

2017年にノーベル文学賞を受賞して以降、カズオ・イシグロは映画業界に歩み寄っている。映画化だけでなく映画祭の審査員や脚本を手掛けていたりするのだ。そんな彼の新しい作品『遠い山なみの光』が公開されたので観て来た。原作は読んでいるのだが、割と忘れてしまっている中での鑑賞だったのだが、石川慶の手によってカズオ・イシグロはアラン・レネに近い考えを有していたことが明らかとなった。

『遠い山なみの光』あらすじ

ノーベル文学賞受賞作家カズオ・イシグロが自身の出生地・長崎を舞台に執筆した長編小説デビュー作を映画化したヒューマンミステリー。日本・イギリス・ポーランドの3カ国合作による国際共同製作で、「ある男」の石川慶監督がメガホンをとり、広瀬すずが主演を務めた。

1980年代、イギリス。日本人の母とイギリス人の父の間に生まれロンドンで暮らすニキは、大学を中退し作家を目指している。ある日、彼女は執筆のため、異父姉が亡くなって以来疎遠になっていた実家を訪れる。そこでは夫と長女を亡くした母・悦子が、思い出の詰まった家にひとり暮らしていた。かつて長崎で原爆を経験した悦子は戦後イギリスに渡ったが、ニキは母の過去について聞いたことがない。悦子はニキと数日間を一緒に過ごすなかで、近頃よく見るという夢の内容を語りはじめる。それは悦子が1950年代の長崎で知り合った佐知子という女性と、その幼い娘の夢だった。

1950年代の長崎に暮らす主人公・悦子を広瀬すず、悦子が出会った謎多き女性・佐知子を二階堂ふみ、1980年代のイギリスで暮らす悦子を吉田羊、悦子の夫で傷痍軍人の二郎を松下洸平、二郎の父でかつて悦子が働いていた学校の校長である緒方を三浦友和が演じた。2025年・第78回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門出品。

映画.comより引用

トラウマは真実を語れるのか

ナガサキをリアルタイムで知らないニキは実家を訪れる。イギリスに渡る前を知らない彼女は一緒に過ごす中で母の記憶に触れる。本作はアラン・レネ『二十四時間の情事』同様、外部の存在が正確に原爆を知ることができるのかといったコンセプトによる作品である。カズオ・イシグロ自身、幼少期にイギリスへ渡ったため、またリアルタイムで終戦を経験していないため、日本人という原爆の被害者でありながら原爆経験について語れない葛藤があった。フランス人が日本の原爆経験を完全に知ることが難しいのと同様に、外部の日本人もそれについて語るのは難しい。後天的に経験を補うことはできるのか?家族から話を聞くことで自分事にできるのかといった問いは本作におけるニキに託され、その複雑さを信頼できない語り手である悦子が担う構成となっている。

本作はピオトル・ニエミイスキの撮影により、日本映画とは思えないライティングの異質さ、そして異様に綺麗なセットの中で描かれる。羽仁進『彼女と彼』を彷彿とさせる団地/バラック、ふたつの領域をまたぐことで心理的変化を強調する演出が印象深いが、あまりに広く綺麗な空間に違和感を抱く。NHKの朝ドラよりも綺麗なのだ。

しかし、これには明確な意図が汲み取れる。我々が回想する時、余計なノイズが除去されがちなのである。だからいくら汚い場所を想像しようとしても、100%の再現は難しく、ある程度のヨゴレは流されてしまう。その感覚を映像で表現するとあのようなハリボテが生まれるわけである。そして、このハリボテこそが悦子が信頼できない語り手であることを強調し、トラウマを抱えている者が仮想的に立てたフィクショナルな領域にナラティブを流し込んでいる様、それによって非当事者が当事者に歩み寄る困難さが浮かび上がってくるのだ。

文学的手法を見事なまでに映像文法へ翻訳した石川慶の手腕に圧倒された。

※映画.comより画像引用