白い町で(1983)
Dans la ville blanche
監督:アラン・タネール
出演:ブルーノ・ガンツ、テレーザ・マドルーカ、ユリア・フォンダリンetc
評価:70点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
2025年はリバイバル上映のラインナップが異常事態となっており、終末を思わせるラインナップとなっている。ついにアラン・タネールも降臨する事態となった。Blu-rayボックス発売記念でユーロスペースにて限定上映された『白い町で』を観た。確かに今の価値観からすると問題のある部分は気になるも、こういった映画を映画館で観ることに意味があるなと思わずにはいられない。
『白い町で』あらすじ
「サラマンドル」「ジョナスは2000年に25才になる」などで知られるスイスの巨匠アラン・タネールが、キャリア円熟期の1983年に手がけた長編第8作。時が逆さに流れる町、ポルトガル・リスボンを舞台に、陽光を反射して白く輝く、迷路のような町をさまよう男の心の旅路を詩情豊かに描く。
リスボンに降り立った貨物船の船員ポールは、8ミリカメラで自身や町の風景を日記のように記録し、そのフィルムを故郷スイスにいる妻エリザのもとへ送る。小さなバーに立ち寄ったポールは店員のローザと親しくなり、いつしか愛し合うようになる。一方、妻エリザは一向に帰ってくる気配のない夫の様子に不安を募らせていく。
「ベルリン・天使の詩」のブルーノ・ガンツが主演を務め、人生の倦怠から逃れようとするポールを、悲哀とユーモアの絶妙なバランスで演じた。ポルトガルの映画プロデューサー、パウロ・ブランコがタネール監督と共同で脚本・製作を担当。1984年セザール賞にて最優秀作品賞を受賞した。2025年7月、4Kレストア版にてリバイバル公開。
※映画.comより引用
世界ふれあい「おじ」歩き~ポルトガル・リスボン編~
船員のポールはポルトガル・リスボンに降り立ち、埋没する。ひたすらリスボンの街を彷徨い、酒に溺れ、不倫をし、8mmフィルムで撮影したポエムな映像を妻へ送りつける日々を送っている。映画はストーリーがあるようでなく、アンニュイなポールの心象世界を映し出すに特化している。
ジョナサン・クレーリー「24/7 眠らない社会」によれば、産業革命以降人間の時間は24時間×7日に規定され、人々の生活をこのフレームへ押し込んだ。さらに、ITの発達によって人々の行動が記録され、インターネット上に格納されていく。人々の日常が管理されていくことで、本来の「日常」が失われつつあることが指摘されている。確かに、我々は食事をするにしても、どこかに行くにしても、何気ない日々を送るにしてもちょっとしたことはSNSに書き込んでいく。自分の物語として刻み込み、不特定多数に公開する。日常とは思い返すこともできない陳腐なルーティンであり、産業革命は人間の活動をルーティン化した一方で、人間の陳腐なルーティン自体、それつまり余白は失われつつある。
ポールの行動は、リスボンの日常からも離れ、人間生活の余白の中を生き続けている。今や我々が忘れてしまった時間の流れを思い出させてくれる。また、彼が撮影する映像はかつてグランドツアーに参加した貴族たちが自らの体験のイメージを外部化するためにカナレットなどの風景画を買ったように、ありのままの風景というよりかは脳裏の朧げな美を忍び込ませたイメージを外部化するようなものがあり、それは不特定多数にみせるというよりかは自分ないし関係者間でのみ受容されるといった目的がある。つまり、今のSNSありきの撮影とは根本的に異なる「撮る行為」が収められているのである。
また、一見するとアンニュイ無軌道、ダラダラッとした撮影に満ちているのだが、時折決まったショットが提示される。特にポールを襲った人物をビリヤード場から追跡する展開は見事である。なぜかアーケードゲームをポールがやり始め、爆音を響かせる。ターゲットはフレームの外側にあり続け、彼が気づいたかどうかがわからない。そしてターゲットが店をあとにすると、追跡を始めるのだが、「見失った」と思わせる間がそこにある。しかし、カメラがパンをすると、彼は存在するのだ。ここはお見事であった。
一方で、同じくアンニュイな日々を提示する『オルエットの方へ』と比べると、「おじの妄想」で構成された作品であり、女性がおじの欲望を満たす存在としてしか機能していないところは今だとそこまで受容されないだろうなとは思った。おじの妄想破壊ウイルスとしてひたすら「ざぁ~こ♡ざぁ~こ♡」と弄ぶ『オルエットの方へ』の方が受容されるような気がした。
※映画.comより画像引用