【ネタバレ】『スーパーマン』歴史という大きな物語で在り処を見出して

スーパーマン(2025)
Superman

監督:ジェームズ・ガン
出演:デヴィッド・コレンスウェット、レイチェル・ブロスナハン、ニコラス・ホルト、イザベラ・メルセードetc

評価:75点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

ここ数年、アメコミ映画は長いし、あまり面白くない、キャラクター関係が複雑すぎて面倒な割に観たとしてもあまり話したいことがないといったイメージが強くて忌避していたところがある。しかし、『スーパーマン』は昨今のアメコミ映画と比べると129分と短めであり、あの壮大過ぎる予告編をどうやって129分に収めたのだという興味が勝った。映画館で実際に観ると、想像以上に面白い切り口の作品であった。しかしながら、昨今のアメコミ映画以上にネタバレ厳禁というか、最初の5秒で驚きの展開を魅せる作品だったので当記事はネタバレありで書いていく。できれば、何も触れずに観た方がよいタイプである。

『スーパーマン』あらすじ

1938年に発行されたコミックに始まり、幾度も映画化されてきたアメコミヒーローの原点「スーパーマン」を、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」「ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結」のジェームズ・ガン監督が新たに映画化。

人々を守るヒーローのスーパーマンは、普段は大手メディアのデイリー・プラネット社で新聞記者クラーク・ケントとして働き、その正体を隠している。ピンチに颯爽と駆け付け、超人的な力で人々を救うスーパーマンの姿は、誰もが憧れを抱くものだった。しかし、時に国境をも越えて行われるヒーロー活動は、次第に問題視されるようになる。恋人でありスーパーマンの正体を知るロイス・レインからも、その活動の是非を問われたスーパーマンは、「人々を救う」という使命に対して心が揺らぎはじめる。一方、スーパーマンを世界にとって脅威とみなす天才科学者で大富豪のレックス・ルーサーは、世界を巻き込む巨大な計画を密かに進行。やがて、ルーサーと彼の手下である超巨大生物KAIJUがスーパーマンの前に立ちはだかる。世界中から非難され、戦いの中で傷つきながらも、スーパーマンは再び立ち上がっていく。

スーパーマン/クラーク・ケントを演じるのは、「Pearl パール」「ツイスターズ」などで注目されるデビッド・コレンスウェット。ロイス・レイン役にはテレビシリーズ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」で知られるレイチェル・ブロズナハン。宿敵レックス・ルーサーには、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のニコラス・ホルトが扮する。

映画.comより引用

歴史という大きな物語で在り処を見出して

紀元前3世紀、30年前、3年前、30分前とカウントダウンをしながら南極へとフォーカスがあたる。

「スーパーマンは初めて敗北した」

といったショッキングなメッセージより映画は始まる。どういうことだろうか、本作はスーパーマン誕生の物語かと思いきや、物語の途中から始めているのである。ボロボロなスーパーマンは相棒のクリプトに運ばれ、南極の基地で治療を受けて再び、レックス・ルーサー率いる軍団と戦っていく。

まさしく、我々は生まれた時から歴史という大きな物語の途中から迷い込み、他者と関係を持つ中で役割を見出し、社会へコミットしていく様を示したようなオープニングとなっているのである。

そして、興味深いことに本作はフランシス・フォード・コッポラ『メガロポリス』と共鳴するものがある。まず、映像だ。どこかレトロな質感でありながらCGによる人工的な色彩、ヌルヌルと動くヒーロー/ヴィランの動きに異質さを抱く。この今昔交えた中で生成される異質さは『メガロポリス』における黄金郷を彷彿とさせる。と同時に、『メガロポリス』が大衆へと歩み寄った結果のようにも思えてくる。『メガロポリス』では、社会構造の頂点にいる者が技術に取りつかれ、独善的に世界を構築しようとする内容であり、市民は映れども心の通った対話はなく、ひたすら断絶した世界が広がっている。一方で、『スーパーマン』の場合、力を持っているが、市民寄りの立場であるスーパーマンが、社会構造の分断を繋ぐ存在となり、折衝しながら良い社会を見出そうとする。つまり、本作を観ると『メガロポリス』は終始レックス・ルーサーの視点で描かれた珍品であることがわかるのだ。そりゃ中々支持されにくい作品である。

本作は、弱みを魅せるスーパーマンに対し、市井のヒーロー、市民たちが今の状況で何をすべきかと自分の役割を見出しそれを全うする。それにより、権力の暴走を食い止める様が描かれており、正当なアメリカ映画として面白く観た。
※映画.comより画像引用

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