『地獄の黙示録 ファイナル・カットIMAX』闇の奥を観た

地獄の黙示録(1979)
Apocalypse Now

監督:フランシス・フォード・コッポラ
出演:マーロン・ブランド、マーティン・シーン、ローレンス・フィッシュバーン、ハリソン・フォードetc

評価:100点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

超長尺映画100本を紹介する企画をやっている中でTOHOシネマズ日比谷にて『地獄の黙示録 ファイナルカット版』IMAX上映が行われると聞きつけて足を運んでみた。中学以来の鑑賞であったのだが、脳天を撃ち抜かれたように衝撃を受けた。

『地獄の黙示録』あらすじ

「ゴッド・ファーザー」のフランシス・フォード・コッポラ監督が1979年に発表し、カンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞したほか、膨大な製作費や過酷な撮影環境、CGなしの壮大なスケールの映像など、数々の伝説を残した戦争映画の傑作「地獄の黙示録」を、コッポラ監督自身が望むかたちに再編集した最終版。79年のオリジナル版より30分長く、2001年に発表された特別完全版より20分短いバージョンとなり、新たにデジタル修復も施された。

ベトナム戦争が激化する1960年代末。アメリカ陸軍のウィラード大尉は、軍上層部から特殊な任務を与えられる。それは、カンボジア奥地のジャングルで軍規を無視して自らの王国を築いているという、カーツ大佐を暗殺するというものだった。ウィラードは部下を連れてヌン川をさかのぼり、カンボジアの奥地へと踏み込んでいくが、その過程で戦争がもたらす狂気と異様な光景を目の当たりにする。出演はマーロン・ブランド、マーティン・シーン、ロバート・デュバル、ローレンス・フィッシュバーン、ハリソン・フォード、デニス・ホッパーほか。

日本では2020年2月にIMAXで劇場公開。2025年6月にも、コッポラ監督の「メガロポリス」公開にあわせてIMAXで期間限定上映。

※映画.comより引用

闇の奥を観た

ドアーズ「The End」のダウナーな旋律の中、男は目を開く。そこにはベトナムの凄惨な爆撃のイメージが重なる。ここは戦場かそれとも平和な街か。夢から覚める前の虚実が重なり合った曖昧さは、ヘリコプターと天井のプロペラの重なり、記憶上にある戦地の音と現実の音が混ざり合ったイメージによって表現される。ジョゼフ・コンラッド「闇の奥」を読んだことのある人なら、あの酩酊状態ともいえる文体を完全に映像で再現したフランシス・フォード・コッポラの編集に脳天を撃ち抜かれたかのようなショックを受けるであろう。

戦争の狂気を描いた作品は数多くあれども、ここまで人間が壊れていき、最終的に無の境地に至る様を描き切った作品は他にない。『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』を観れば明らかなように制作現場もまさしく「アポカリプス、ナウ」であり、剥き出しの狂気が作品に凝縮されているからだ。そのため正直、今の価値観からでは決して褒められたものではない。「アメリカはショーに関して一流だ」と豪語しながら、本物の戦闘機を出動させる。アメリカ人1名の給料でフィリピン人100名雇えるため、600名近い現地人を使って巨大なセットを作り上げる。奴隷に巨石を運ばせてピラミッドを作らせる様子に近い禍々しさ、フランシス・フォード・コッポラ自身が闇の奥に取り込まれ生み出された作品なのだから。

しかし、そういった問題は横に置き、戦場によって変容していく人間心理を大胆かつ繊細に捉えた本作には圧倒されるものがある。カーツ大佐暗殺の極秘任務を携えたウィラード大尉は4人の若造を従え戦地へ降り立つ。キルゴア中佐が指揮するヘリコプター強襲部隊と合流するのだが、彼はすでに壊れていた。空爆の最中にもかかわらず、ランスにサーフィンをさせるため、部下に波の具合を見るよう命令する。いくら止めようとしても爆撃中にサーフィンをすることに執着するキルゴア中佐の異常さを恐れ逃亡する。

ウィラード大尉は心のナレーションにより戦地の高揚感とは距離を置こうとしているのだが、部下の暴走、敵の急襲、もはや指揮官不在の状態で戦闘が続けられている様といった地獄の中で神経をすり減らし、ようやくカーツ大佐と対峙した時には、悟りを開いた彼にどこか同情するように取り込まれ、殺害のミッションが遂行できなくなっていくのだ。この時の錯綜迷走混乱した心理は「闇の奥」における以下の部分と共鳴するものがあり背筋が凍ったのであった。

ーむしろ彼は、大地を粉微塵に踏み砕いていたのだった。全くの孤独だった。彼の前に立った時、僕自身さえが、果たして大地の上に立っているのか、中空に浮かんでいるのか、わからなくなってしまった。先刻から僕は、その時の僕等の会話をー言葉そのままに伝えているわけだがーしかしそれがいったいなにになる?それらはただ日常平凡な言葉ばかりー僕等がみんな日々の生活に取り交わしている、あの聞き慣れた、曖昧な声音にすぎない。そんなものがなにになる?彼の場合は、一つ一つの言葉の背後に、ちょうどあの夢の中で聞く言葉、悪夢の中で口走る言葉のように、恐ろしいまでの暗示が含まれていた!魂!もし誰か人間の魂と格闘した人間があるとすれば、それはこの僕だ。しかも僕の相手は狂人ではなかった。信じてもらえるかどうか、それは知らない。だが、彼の叡智はむしろ明晰をきわめていたとさえいえるーなるほど、一切の関心が恐ろしいほどの強烈さで、自我の上だけに集中されていたとはいえるが、しかしとにかく明晰であった。

※「闇の奥(岩波文庫)」p138より引用