【第6回 映画批評月間】『テンプル森のギャングたち』退屈そうな王子は全てを手にする、そんな彼は狙撃される

テンプル森のギャングたち(2023)
原題:Le gang des Bois du Temple
英題:The Temple Woods Gang

監督:ラバ・アメール・ザイメッシュ
出演:レジス・ラロッシュ、アンクリスト、Marie Loustalot、フィリップ・プティetc

評価:70点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

第6回映画批評月間でラバ・アメール・ザイメッシュ『テンプル森のギャングたち』を観た。

『テンプル森のギャングたち』あらすじ

労働者階級が住む地区ボワ・デュ・テンプに、引退した兵士が住んでいる。彼が母を埋葬しているその時、団地のギャング団に属している隣人のベベが、裕福なアラブの王子の護送車を襲撃する準備をしていた…。「なんて壮大な犯罪映画なんだ、と上映を終えてあなたは感嘆とともに口にするだろう。しかしその壮大さは、あなたが期待するような偉大な 「ネオノワール 」のような作品には似ていないからであり、より正確に言えば、内側から作り直され、地理的・社会的文脈に即し、芸術的気質に従ってそれが再定義されているところにある」―ジャック・マンデルバウム

※第6回映画批評月間より引用

退屈そうな王子は全てを手にする、そんな彼は狙撃される

名前こそ知っていたが初エンカウントとなるザイメッシュ作品。フランスバンリューもの×フィルムノワールながら新鮮なアプローチで富める者とそうでない者を捉えていく。

映画はストローブ=ユイレのごとしパンでバンリューを捉え、虚空を見つめる男へと迫る。家族が亡くなり、葬式まで静かに行為を見つめていき満を期したように美しい声が木霊する。

映画はタイトルに反し、牧歌的もといどんより虚無が流れる団地の日々を映すのだが、襲撃事件と報復が日常を侵食していく。黒沢清映画のようにいつしか暴力の渦中へと迷い込む異物感が映画を支配する。

本作において最も重要なのは、王子狙撃までの過程にある。狙われる王子はまさか自分が殺されるとは思っていないかのように馬をみたりアートを買おうとしたりする。彼は富豪だが、オタク的執着はなくとりあえず消費する存在として描かれる。彼はリアルで馬を見るし、都会を虚構的に落とし込んだアートも買う。

しかし、バンリューに押し込められた人々はヒリついた現実を歩くしかなく、ミニバーのテレビから競馬を観ることで夢見るしかない。そんな者の渇きが富豪に復讐の一弾をお見舞いするのだ。

まさしく、イ・チャンドンが『バーニング 劇場版』で語ったグレートハンガー論の別角度を魅せる一作であった。