『It’s Not Me イッツ・ノット・ミー』キメラを持った男

It’s Not Me イッツ・ノット・ミー(2024)
C’est pas Moi

監督:レオス・カラックス
出演:レオス・カラックス、ドニ・ラヴァン、カテリーナ・ウスピナ、ナースチャ・ゴルベワ・カラックスetc

評価:60点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

レオス・カラックスの中編映画『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』が公開された。ゴダールオマージュな作品は総じて大惨事になる傾向があり、本作も厭な予感がしていたのだが、レオス・カラックスとジャン=リュック・ゴダールのシナジーを感じさせる一本であった。

『It’s Not Me イッツ・ノット・ミー』あらすじ

「アネット」「ホーリー・モーターズ」などの鬼才レオス・カラックスが初めて自ら編集を手がけ、圧倒的なビジュアルセンスで記憶と思考をコラージュしたセルフポートレート映画。

カラックス監督がパリの現代美術館ポンピドゥー・センターからの委任で構想するも、予算が膨らみすぎたため実現しなかった展覧会の代わりとして制作。「いま君はどこにいる?」というポンピドゥー・センターからの問いかけを根源的に捉え直し、自分がどこから来てどこへ行くのかという答えのない謎に、地の底から響くような低い声で口ごもりながら語る。

ジャン=リュック・ゴダール監督の後期のエッセイスタイルへオマージュを込めながら、家族について、映画について、20世紀の独裁者と子どもたちについて、死者たちについて、そして哲学者ベルクソンが提唱した「エラン・ヴィタル(生の飛躍、生命の躍動)」について、ホームビデオから映画、音楽、写真などさまざまなジャンルやフォーマットの映像を、夢の断片のようにコラージュしていく。

映画.comより引用

キメラを持った男

ゴダールは自分には物語ることはできない。所詮映画は引用でしかないと塞ぎ込んだ。その内なる映画史を突き詰めた結果、唯一無二のイメージを生み出していった。レオス・カラックスは神童として映画ファンからもてはやされるが、『ホーリー・モーターズ』以降、「自分は大した人間ではない」と内省的な映画を作っているように思える。

『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』はその集大成ともいえる作品であり、『カメラを持った男』を軸に往年の映画や自分の過去作を引用しながら、社会に目を向けつつ、過去の再生産になってしまわないかといった葛藤が映像詩としてまとめられている。クリエーターが過去の記憶や経験を基に作品を形成していく。その過程をメタ的に捉えている点が興味深く、例えば『汚れた血』における「モダン・ラブ」の場面やジュリエット・ビノシュが走る場面は、別の音声が乗ったり、早回しで描かれたりと作品が加工された状態で提示される。実際のイメージと脳内イメージの差が強調され、その差異から別のものが現出するアプローチが慧眼なのだ。

そしてレオス・カラックスがやはり他のゴダールフォロワーと比べて抜きんでているのは、『カメラを持った男』のカメラが開閉する場面とゴッホの「ひまわり」をノイズ交じりに提示する場面を高速で重ねていくカッコ良さにあるのだ。
※映画.comより画像引用