【ネタバレ】『劇場版 僕とロボコ』ミームだけで映画は語れるのか?

劇場版 僕とロボコ(2025)

監督:大地丙太郎
出演:松尾駿、津田美波、置鮎龍太郎、武内駿輔、市道真央(M・A・O)etc

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

週刊少年ジャンプに連載された宮崎周平のギャグマンガを映画化した『劇場版 僕とロボコ』を観た。原作はリアルタイムで読んでいて、コンプライアンスを突いたメタギャグをやりながらも冷笑に陥らず豪快な笑いで駆け抜けていく様に惹かれた。一方で、この作品を福田雄一にだけは映画化されてほしくないと祈った。実際、大好きな作品「斉木楠雄のψ難」を最悪な実写化に陥れた恨みがあるだけに、なんとかして回避してくれと思っていた。今回、アニメ映画として製作されたわけだが。胸をなでおろした。めちゃくちゃ面白かったからである。原作のバランス感覚を120%引き出した映画版だったので語っていく。その中で終盤の展開に触れる必要があるのでネタバレありとする。

『劇場版 僕とロボコ』あらすじ

「週刊少年ジャンプ」連載の宮崎周平のギャグ漫画を1話3分×28話のテレビシリーズとしてアニメ化し、2022年に放送された「僕とロボコ」の劇場版。美少女メイドロボの「オーダーメイド」が普及した世界を舞台に、平凡な少年ボンドと、たくましい膝をもつ自称オーダーメイドのロボコが繰り広げるドタバタの日常を描く。

突然の虫の知らせならぬ、ロボコの“膝の知らせ”により、平凡な小学生・ボンドの日常は崩壊の兆しを見せる。そしてある時、何者かによって時空が歪められ、それぞれ別の世界線=マルチバースで活躍するロボコたちが集結する。

お笑いコンビ「チョコレートプラネット」の松尾駿がロボコ役の声優を務める。マルチバースの各世界線からやってきたロボコ役には、田中真弓(王道バトルの世界線のロボコ)、千葉繁(本格SFアクションの世界線のロボコ)、上坂すみれ(ラブコメの世界線のロボコ)、野沢雅子(昭和ギャグ漫画の世界線のロボコ)と豪華声優陣が集結。さらに、「チョコレートプラネット」の長田庄平も、ロボコの前に立ちはだかる宇宙海賊の大幹部役で出演。「とんかつDJアゲ太郎」「信長の忍び」などのギャグアニメで知られる大地丙太郎が、テレビシリーズに引き続き監督を務めた。

映画.comより引用

ミームだけで映画は語れるのか?

ギャグマンガや子ども向け作品は「□いアタマを○くする」がごとく、自由な発想からアート系作品や実験映画がありがたがって使うテクニックを飄々と使ってくる。『劇場版 僕とロボコ』も例外ではない。冒頭、ONE PIECEや鬼滅の刃、SPY×FAMILYなどといった作品を展開するように思わせて「僕とロボコ」でしたと語る。フランク・タシュリンが『ロック・ハンターはそれを我慢できるか?』にてタイトルコールをする際に前作の『女はそれを我慢できない』を読み上げてしまうギャグに近いことをやってのける。コンプライアンスに配慮していく内に色彩と音を失い、沈黙が映画を包み込む展開はジャン=リュック・ゴダール『はなればなれに』の演出だったりする。

「僕とロボコ」は大ヒット漫画に対する自虐を主体としている作品であり、映画も基本的には様々な漫画やアニメの引用だけで物語るスタイルが取られている。創作は何かしらの影響を受けながら生み出されるものだが、本作は影響を剝き出しにすることで、あらゆる有名作品の要素だけで物語れることを証明している。

では、本作はパッチワーク的作品なのかといったらそうではない。プルーストが「失われた時を求めて」の中で、究極の芸術は森羅万象集めたところで生まれるものではないと語っていたが、まさしくそうである。『劇場版 僕とロボコ』はミームを使いながらも「僕とロボコ」のアイデンティティは手放さないのである。様々な世界線のロボコを前に実存の危機に陥るロボコ。ロボコが対峙するのは、3話で打ち切りとなった世界線のロボコであり、同じく実存の危機に陥ったロボコと対峙することで、原作のテーマである多様性や他者を思いやる優しさが強調されていくのである。このテーマはアンパンマンや映画版おかあさんといっしょでも描かれている子ども映画の定番であり、ミームだけで構成されていながらも視座は子どもに向いているのである。これが内輪映画で終わってしまっている福田雄一との最大の違いなのだ。

確かに、過剰なミーム波状攻撃はもはや映画とはいえないのかもしれないが、私は断然本作を支持する。
※映画.comより画像引用