『ここではないどこかで』カテゴライズのゆらぎ

ここではないどこかで(1982)
Losing Ground

監督:キャスリーン・コリンズ
出演:セレット・スコット、ビル・ガン、デュアン・ジョーンズ、ビリー・アレン、ゲイリー・ボーリングetc

評価:75点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

ヒューマントラストシネマ渋谷にて開催中のアメリカ黒人映画傑作選にて『ここではないどこかで』を観た。我々が無意識に「黒人」とカテゴライズしてしまう様をひっぺ剥す作品であった。

『ここではないどこかで』あらすじ

アフリカ系アメリカ人の女性監督キャスリーン・コリンズが、あるひと夏を過ごす女性の心の揺らぎを鮮やかな映像美でつづったドラマ。

大学で哲学を教えているサラは、画家の夫ヴィクターとニューヨークに住んでいる。ヴィクターは夏の間リゾート地で創作活動に専念したいと言いだし、サラは論文執筆のため街に残りたかったが、仕方なく同行することにする。しかしヴィクターは現地の女性にちょっかいを出し、サラはその腹いせに、教え子から頼まれていた自主映画への出演を決める。

アフリカ系女性監督が手がけた長編映画の先がけで、1982年の製作当時はいくつかの特別上映のみで正式公開されず、その6年後にコリンズ監督は逝去。2014年にリンカーン・センター映画協会で開催された「ブラック・インディペンデント・ムービー」特集のオープニング作品に選ばれると高く評価され、世界中で上映されることとなった。日本では2025年4月より開催の特集上映「アメリカ黒人映画傑作選」にて劇場初公開。

映画.comより引用

カテゴライズのゆらぎ

冒頭、女性の哲学教師がサルトルの実存論について講義する。その流れで、カテゴライズにおける抑圧の話が行われる。これは決して黒人だけの話ではなく、普遍的なものがある。ヒトはもやもやを言語化する際に、特定のキーワードを頼りにする。キーワードは関数のように便利であり、複雑な思考を一語で示すことができるからだ。しかし、そういったキーワードを他者へ用いることで時として加害となる。日本では最近、某ビジネス書が、「困った人」をキーに障害と動物を結び付けて大炎上していた。ヒトのキーワードを求めていく本能に付けこんだビジネスの結果といえよう。

閑話休題、この哲学教師には画家の夫がいて倦怠期に陥っている。彼はあまり売れない画家であり、自由に抽象画を描いている様子にモヤモヤしている。彼女はバカンス先で、言葉を編み込もうとするが沼ってしまっている。その傍ら、彼はミューズを見つけて、具象的な画へとテイストを変えて来る。それに苛立った彼女は、役者になること、他者になることでモヤモヤを解消しようとする。

アメリカ黒人映画傑作選では『小さな心に祝福を』もそうだが、黒人同士が肌の色でマウントを獲る場面がある。同じ黒人でも、人種の違いで軋轢や差別が生まれるのである。本作の場合、スペイン語を話すプエルトリコ系と都会の英語を話す黒人との間で「差」が意識される。その差にあるものを言語化しようとする過程で、加害的になるかどうかの瀬戸際をタップダンスして描いているのである。この観点は、他の映画であまり見かけないものがあったので慧眼であった。
※映画.comより画像引用