【ネタバレ】『教皇選挙』コンクラーベは根回しが9割

教皇選挙(2024)
Conclave

監督:エドワード・ベルガー
出演:レイフ・ファインズ、スタンリー・トゥッチ、ジョン・リスゴー、イザベラ・ロッセリーニ、ブリアン・F・オバーン

評価:80点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

第97回アカデミー賞で脚色賞を受賞した『教皇選挙』を観た。実は、予告編を観た時に、苦手な会話劇、土地勘のない物語でピンと来なかったのだが、実際、公開日になるとTOHOシネマズシャン手は満席近くまで埋まっており、そしてTLも絶賛の嵐。自分も非常に興味深く観た。脚本は『裏切りのサーカス』『ザ・ゴールドフィンチ』で知られるピーター・ストローハン。ミステリーを書かせたら面白い監督であり、本作も終盤に大ネタがある。確かにこれも惹かれるものがあったのだが、一方でその大ネタに問題があるようにも思えた。今回はネタバレありで語っていく。

『教皇選挙』あらすじ

第95回アカデミー賞で国際長編映画賞ほか4部門を受賞した「西部戦線異状なし」のエドワード・ベルガー監督が、ローマ教皇選挙の舞台裏と内幕に迫ったミステリー。

全世界14億人以上の信徒を誇るキリスト教最大の教派・カトリック教会。その最高指導者で、バチカン市国の元首であるローマ教皇が亡くなった。新教皇を決める教皇選挙「コンクラーベ」に世界中から100人を超える候補者たちが集まり、システィーナ礼拝堂の閉ざされた扉の向こうで極秘の投票がスタートする。票が割れる中、水面下でさまざまな陰謀、差別、スキャンダルがうごめいていく。選挙を執り仕切ることとなったローレンス枢機卿は、バチカンを震撼させるある秘密を知ることとなる。

ローレンス枢機卿を「シンドラーのリスト」「イングリッシュ・ペイシェント」の名優レイフ・ファインズが演じるほか、「プラダを着た悪魔」のスタンリー・トゥッチ、「スキャンダル」のジョン・リスゴー、「ブルーベルベット」のイザベラ・ロッセリーニらが脇を固める。第97回アカデミー賞で作品、主演男優、助演女優、脚色など計8部門でノミネートされ、脚色賞を受賞した。

映画.comより引用

コンクラーベは根回しが9割

教皇が亡くなり、コンクラーベが開催される。教皇の選挙は外部からのノイズを制御するため厳戒態勢で行われる。システィーナ礼拝堂にほぼ監禁状態で数日かけて次の教皇を決める選挙が行われる。得票数が一定数に達していないと投票不成立となり、何度も投票を行いながら次なる教皇を決めるのだ。

そんなコンクラーベを取り仕切ることとなったのは教皇庁首席枢機卿トマス・ローレンス。彼自身は教皇になる器がないとし、誰が次なる教皇に相応しいのかを模索している。そんな選挙に以下の主要候補が現れた。

1.アメリカ出身ベリーニ枢機卿(リベラル派)
2.カナダ出身トランブレ枢機卿(穏健保守派)
3.ナイジェリア出身アデイエミ枢機卿(アフリカ系初の教皇誕生に王手)
4.イタリア出身テデスコ枢機卿(保守派)
5.メキシコ出身ベニテス枢機卿(アフガニスタンで宗教活動している。コンクラーベ直前に参加を表明。)

コンクラーベ直前に、有力候補であるトランブレ枢機卿の不穏な噂を耳にする。また、メキシコ出身で現在はアフガニスタンにて宗教活動をしているベニテス枢機卿が突如参加を表明する。中道派であるローレンスは選挙は平等であるべきと、一旦は受け入れつつ、それぞれの裏を取って選挙を運営していく。

本作は一見すると、我々と関係のないローマ教皇の選挙の話であるが、仕事の現場で起こりがちな問題をも内包している普遍的な物語となっている。要は「根回し」の映画となっているのだ。最初こそ、投票はバラけている。しかし、得票数1票の勢力をいかにして自分の陣営に取り込むかが重要となってくる。時には対抗勢力と交渉し、票を統一することで敵対勢力を落とすといった戦略が取られる。その結果、選挙の時には大方が決まっている。つまり、「コンクラーベは根回しが9割」もとい選挙だけでなく会議も根回しによって大筋が決まっていることがわかるのだ。よく、選挙は個人の自由で投票されるのだから、政党の中でも別の人に投票する者がいるのではと思うのだが、根回しによってそのような行為も防がれていることがわかる選挙メカニズムの映画として面白く観た。

第97回アカデミー賞のテーマは従来型のアメリカ映画に対する懐疑であり、「役割を受容する」物語としてのアメリカ映画像に対し、役割を受容することへの拒絶や役割を受容したことで起きる個の抑圧といったテーマの作品が多かった。『教皇選挙』の場合、そのハイブリッド型といえる。トマス以外は自分こそが役割を受容する存在だと信じており、フレデリック・ワイズマン映画のように自分の役割に従って行動し続ける。自分の行動に疑いを持っていない。対して、トマスは渋々選挙の運営をしているが、このような立場から降りたい、ないし自分は教皇に相応しくないのではと思って葛藤している。役割を委譲する相手は誰かといったところに力点を置いているのである。舞台はイタリアの作品でありながら、アメリカ映画の軸を捉えかつそれに疑問を呈する内容となっているので、アカデミー賞にて注目されたといえる。

そして、本作は中道派であるトマスが世間体を気にし保守的になりそうながら、最終的にはリベラルな候補者が選ばれる。そこに更なる大ネタが仕組まれている。それが、ベニテス枢機卿はトランスジェンダーだったという件だ。男しか入れないバチカン世界において、子宮を取り除けばコンクラーベに参加できると亡き教皇から言われたベニテス枢機卿は、クリニックで子宮を除去しようとするのだが、直前で「私の身体なんだから」と自分を受容する。そして自分の役割をも受容しコンクラーベで勝利するのである。主人公が切り替わり、役割の受容の物語であるアメリカ映画に着地する形でエンディングを迎える。そのアプローチが斬新でリベラルオチの新領域を提示しているのだが、このトランスジェンダーの要素がその前であまり伏線としてフックになっていないため、どんでん返しのためにマイノリティが消費されてしまっている問題を抱えている。面白かったけれども、これを安易に楽しむのはマジョリティの特権的眼差しなので注意は必要だと感じた。

とはいえ、演劇的内容でありながら荘厳リッチな画によって盛り上げていく本作に圧倒されたのは間違いない。

補足:有識者いわく、ベニテス枢機卿はトランスジェンダーというより両性具有が正確な表現のようですね。
※映画.comより画像引用