カノア 恥ずべき事件の記憶(1976)
Canoa: A Shameful Memory
監督:Felipe Cazals
出演:エンリケ・ルセロ、Salvador Sánchez、アーネスト・ゴメス・クルス、ロベルト・ソサetc
評価:90点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
国立映画アーカイブにて開催された特集「メキシコ映画の大回顧」で『カノア 恥ずべき事件の記憶』を観た。これは矢田部吉彦のシネマ・ラタトゥイユを聴いていなければ完全に観逃していた傑作であり、『福田村事件』とは比にならないぐらい緻密に陰惨な過程がおこるまでの轍を捉えていたといえよう。
『カノア 恥ずべき事件の記憶』あらすじ
1968年9月14日、プエブラ州カノア村で起きたリンチ事件にホラー映画のような残酷描写を盛り込んだ異色のセミドキュメンタリー。あらゆる悪事に手を染めるカトリックの神父に扇動されたカノア村の住民たちが、登山に向かう大学職員らを共産主義革命家と信じ込み襲撃する。登場人物がキャメラに向かって語りかける大胆なスタイルを取り入れて、群衆心理が生み出す暴力に対して警鐘を鳴らしている。
遅効性の《音》と恐怖について
正直、前半こそはゆったりとした進行、飲み込みづらい状況に睡魔が襲う。カノア村で凄惨な暴行事件が起きたことをジャーナリストが語りながらタイプライターに打ち込む。そして、事件の被害者である大学職員5人組のダラダラとした日常が描かれていく。
彼らが山登りのためカノア村にたどり着いてからようやくエンジンがかかる。大雨に見舞われ、売店で時間を潰しながら、仲間が一時的に滞在できる場所を探して教会や役所に懇願する。しかし、村長はいないらしく、また身分証を持っていなかった彼らを前に村人たちは悪意の眼差しを向けるのだ。ここまではるばる来たのだからなんとかして山登りをしたいと思った彼らは辛抱強く場所を転々としながら、遂に売店で出会ったおじさんの家へ避難することとなる。
長い夜、おじさんと談笑をする5人だったが、外ではナワトル語でワーワー騒ぎ立てている。おじさんは「村八分の嫌がらせがあるんだよ」と怖い話をする。厭な予感がするのだが、ナワトル語が分からない。とりあえず、目の前の男が敵かどうかを見極めることに集中する。おじさんは、ひらりと核心に迫る話を避けているように思えるが逃げた方が良いか?心理戦が行われている最中、徐々に彼らは袋の鼠となっていった。
本作において《音》によるサスペンスが重要となってくる。我々観客は字幕によってナワトル語がわかる。とんでもないことが進んでいることを知っている。「早く逃げて!」と言いたくなる。しかし、彼らは分からない。山登りをしたいという気持ちが楽観的な方向へと転がりつつも、夜遅くにスピーカーで騒いでいることに不信感を抱く。思い当たることもある。だが、目の前の男が信頼できるのかも怪しい。下手に動いたらマズいのでは?とりあえず、外の声よりも目の前の声に集中しようとする。
映画は村が団結する場面を映し出す。しがらみによって、乗り気ではなくとも、暴力へ加担せざる得ないやりとりをじっくり展開していき、彼らが知らない場所で作戦が進められていく。タイムリミットが迫っていることを捉えていくのである。そして、時が来ると雪崩のように暴力が注ぎ込まれ、時間をかけながら大学職員が痛めつけられるのである。
海外旅行で怖い想いをしたことがある人の「何を信じたらいいのかわからないが故に身体が固まって動けない、逃げ出せない様」を忠実に描き切った本作にノックアウトしたのであった。