【フレデリック・ワイズマン特集】『臨死』終末医療解体新書

臨死(1989)
Near Death

監督:フレデリック・ワイズマン

評価:75点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

アテネ・フランセのフレデリック・ワイズマン特集で念願の『臨死』を観た。実は年末にAmazonにて『臨死』収録のフランス版DVD-BOXを購入していたのだが、アメリカで行方不明となってしまい、代替品も用意できないということで手に入れることができなかった。しかたがないので、2時間前から並んだのだが、最前ハンターたちが既に6人ぐらい並んでおりヒヤヒヤの中、ベストポジションを確保して鑑賞に臨んだ。正直、アテネ・フランセで6時間コースは腰がバキバキにクラッシュしてフィニッシュ、中盤までエンジンがかからない構成なので、私自身が臨死状態に陥る事態であった(映画仲間は耐え切れず、途中で帰ったらしい)のだが、それでも完走した感想は「観て良かった」。ワイズマン特有の全体を通してみると理にかなった構成の作品であったのだ。

『臨死』概要

ボストンのベス・イスラエル病院特別医療班についての映画。尊厳死、植物人間、脳死、インフォームド・コンセント、インフォームド・チョイスなど死と生の境界をめぐる末期医療の新しい問題を臨床現場から掘り起こした6時間に及ぶ超大作。ハーバード大学の付属機関であり先端の医療技術を誇るこの病院の集中治療棟で行われる生命維持装置を使った診療をめぐり、患者と医者が直面する現実に多角的に迫っている。

※アテネ・フランセより引用

終末医療解体新書

フレデリック・ワイズマンの超長尺映画を考える際に「視点が分割されている」ことを念頭に置くとよい。『臨死』はその顕著な例であり、患者、医者、家族の3軸で終末医療現場における「治療を継続するか否か」の議論が行われる。「ユリイカ 2021年12月号 特集=フレデリック・ワイズマン」によれば、背景として1983年の「ナンシー・クルーザン事件」があるとのこと。アメリカ・ミズーリ州でナンシー・クルーザンが心肺停止の状態から奇跡的に回復する。しかし、意識は不明の状態であり、延命処置を巡って家族と病院との間で裁判となった。家族は人工的水分・栄養補給の中止を求めたが、病院はそれを認めなかったためだ。裁判の判決では「患者本人の意思が表明されていないから」を根拠とし、家族の要望は棄却された。本作が作られたのは、その判決の少し前である。「延命すべきか否か」といった判断は患者、医者、家族との議論によって決定される。そして、その決定の背景として国家があることをワイズマンは捉えようとしているのである。

第一部では、「もう助からない」状況において患者のリヴィング・ウィル(生前意思表明)を確認する過程にフォーカスが当たる。延命治療するか否かにおいて、まずは患者本人がどうありたいかを確かめる必要があるのだ。しかし、究極の選択を前にストレートで論理的な回答をすることは難しい。患者は脈絡がないようなことをとりあえず発する。まるで抱えきれない内面を外部化するように医者や看護師に吐露していく。「大事なのは《今》です。過去に決断したものも撤回できますよ。」と彼ら/彼女らは語りかけながら思索を促すのである。

一方で、医者/看護師としての葛藤がある。90分過ぎあたりからフォーカスは医者サイドへと移っていく。「打つ手なし」「治癒率が限りなく0%に近い」といった患者を多く抱えるわけだが、病院としてストレートにそのことを伝えるのは回避すべきとされている。「ナンシー・クルーザン事件」における病院と裁判所の判断からも分かる通り原則として「延命処置」を行う必要があるからだ。だから医師たちは、それぞれの体験や研修で得た知識を総動員してベスト・プラクティスを考える。また「責任を取る」のも医者たちの仕事であり、どちらへ転がったとしても最悪な状態な中、腹を括って家族や患者へ説明するシナリオを考えていくのだ。本作が面白いところは、このような極限状態であっても「笑える場面」がたくさん存在する点である。チームリーダーが「医者とは責任を取る仕事だ」と溜息を吐きながら語る。すると、看護師たちが「わたしたちが巻き取っちゃいますよ!」と慰める。対して笑いながら「いや、僕はもう大人だから自分で責任取りますよ」と返す。このカタルシスに思わず劇場から笑いが起きた。まさしく、ユリイカで論じられている「インスティテューナルな笑い」が『臨死』においても適用される瞬間であった。

第三部になると家族に視点が映る。医者たちにおいて一番厄介なのは《患者》よりも《家族》である。患者の意思を家族に伝えたとしても「夫はそんなこと言うはずがない」と反論し揉めるケースが少なくないからである。綿密なシナリオを組み、患者以上に時間をかけて家族に説明する過程が第三部で描かれる。やがて、事実を受け入れた家族が夫と会話する場面がある。この場面はワイズマン映画の中で最も泣ける場面だろう。妻が「あんた、随分と痩せたね。でも、ダイエットしようとしていたから痩せてよかったね。」と絞り出すようなユーモアが吐露されていくのだ。

結果として、アテネ・フランセの椅子で腰が大破したものの満足いく映画体験となったのであった。