Eno(2024)
監督:ゲイリー・ハストウィット
評価:60点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
第97回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞のショートリストに選出されたブライアン・イーノのドキュメンタリー。本作は上映ごとに作品を生成していく変わったスタイルが採用されていることで話題となっている。本日2025/1/25(土)に国際的なオンラインイベント”24 Hours of Eno”が開催されていて、24時間体制で定期的に新しいバージョンが生成され続けている。今回、Ver.4.121で鑑賞した。正直、ブライアン・イーノに関しては無知で、数日前に予習した際に「U2っぽい曲を作っている人かな」と思っていたレベルなので、イーノ周りというよりかは映画史においてどう本作を位置づけるかについて考えていく。
『Eno』あらすじ
A generative documentary about artist Brian Eno, with 52 quintillion possible iterations, so that no viewing is the same twice.
訳:アーティストのブライアン・イーノに関する生成ドキュメンタリー。52京通りの反復が可能で、同じものを2度見ることはありません。
※IMDbより引用
毎回内容が変わるブライアン・イーノドキュ
スマホの登場により、娯楽が膨大に膨れ上がり、「映画」が大衆に選ばれなくなりつつある。2010年代において、映画館ビジネスはサブスクの台頭による「映画館で観る意味」を掘り下げる必要性が出て来た。3D/4D上映、ラグジュアリー席の導入、そして応援上映。映画館で観る体験の一回性を強調しようとしてきた。一方で、配信サービスも「映画」に関しては行き詰まりをみせているようで「映画」そのものの実存が危機に陥っていた。
そんな中、2010年代後半から映画そのものにも一回性の価値を付加しようとする試みが生まれていった。ガイ・マディンは特設サイトにて10~20分の短編映画を自動生成できる『Seances』を作った。Netflixはリモコン操作で映画の展開を決められるゲーム方式の作品『ブラック・ミラー: バンダースナッチ』を2018年の末に告知なしで配信し話題となった。日本でも2025年は『ヒプノシスマイク Division Rap Battle』で観客投票によりリアルタイムで映画の結末が決まるインタラクティブ上映を企画している。フランシス・フォード・コッポラ『メガロポリス』では、映画に物理的な演劇的要素を付加しており、カンヌ国際映画祭上映時には、銀幕のアダム・ドライバーと劇場内の人が対話を始める演出が行われた。映画は作ったら同じものを繰り返し観ることができる特徴を持つ娯楽であるが、そこから離れることにより新しい映画を模索しているといえる。
『Eno』の場合、反復して聴くことができる、むしろ、何度も聴き直すことで音楽の世界に浸れる音楽において、それが生まれる瞬間の「一回性」に目を向けようとしている作品である。トーキング・ヘッズやマルセル・デュシャン「泉」との関係性など一般的なアーティストドキュメンタリーたるインタビューシーンや情報整理のパートはある。しかし、重要なのは自動生成で配置されるブライアン・イーノの心象世界的画と彼が実際に収録する場面にあるといえる。先日、杉本博司のドキュメンタリー『はじまりの記憶 杉本博司』を観た。その中で、彼は目に見えないものを物質化する技術としての「芸術」について語っており、真実を投影すると思われている写真の形而上的側面が論じられていた。その中で、サヴォア邸やエッフェル塔がぼやけて映し出されている写真群が提示された。大枠は浮かび上がっているが細部は曖昧なクリエーター原初のアイデアの可視化としてこれらの作品は評価できる。この理論を応用すると、『Eno』の軸が見えてくる。自動生成されるけれど、大きなフレームは変わらない。そのフレームの中で一回性の収録が行われ、反復されるメディアとしての「音楽」が誕生する。このような理論を本作で実践したといえよう。