マカリオ(1960)
Macario
評価:80点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
国立映画アーカイブ「メキシコ映画の大回顧」にて『マカリオ』を観た。本作はメキシコ映画として初めてアカデミー賞外国語映画賞(旧:国際長編映画賞)にノミネートされた作品である。
『マカリオ』あらすじ
ロベルト・ガバルドン監督の異色作。メキシコ植民地時代、一家が飢餓の危機に瀕し、絶食を宣言した家長のマカリオ。心配した妻は七面鳥を盗んできてマカリオに渡すが、その後、マカリオの前に3人の使者(紳士を装った悪魔、老いた神、農民を装った死神)が現れて彼を次々に誘惑する。生と死の狭間で展開する想像力に満ちた物語をフィゲロアの撮影が見事に視覚化。メキシコ映画として初めてアカデミー賞で外国語映画賞にノミネートされた。2023年にテレビサ財団とワールド・シネマ・プロジェクトによって復元された版を上映。
わしが足元にいたら生かそう、枕元にいたらその魂を寄越せ
寓話映画なので、シンプルな内容かと思っていたのだが、予想を裏切る展開で面白い。子だくさん、貧しい家の大黒柱であるマカリオは家族のため、自分だけ断食する。重々しい顔つきで働きつつも、家族の目から外れると七面鳥への渇望が止まらない。見かねた妻は七面鳥を盗み、彼に託す。そんんあ彼の前に3人の使者が現れ誘惑する。
3人目の使者が「腹が減った、七面鳥を分けてくれ」と言われた時、マカリオは彼の内面に悪意がないことを確認すると共に、分け与えた口実でようやく七面鳥にありつけると思い、受け入れる。実は彼は死神であり、お礼に「聖水」を与える。
通常、この手の物語だと聖水は万能であるが、面白い条件がある。それは、聖水を使うタイミングになると死神が現れる。彼が足元にいれば復活できるが、枕元にいたら諦める必要があるといったものである。彼はこの聖水のおかげで成功する。物語に親しんだ我々は、欲に溺れていくマカリオ、嫉妬によって陥れられるマカリオを想像するが、意外にも彼は賢い。
富豪の妻を治療する際に高額を吹っ掛けて治療するも、結局、代金は最小限しか受け取らなかった。これは嫉妬により殺されたり秘密を暴露されることを防ぐためで、結果としてこの富豪と一緒にビジネス関係を結び富を得ることに成功する。また、この富豪から聖水を奪われないように、いままで使っていたヒョウタンから水を小瓶に分けて隠す厳重管理まで行うのだ。
そして、噂が噂を呼び長蛇の列になったとしても決して死神の掟を破ることはなく、助からないときは助からないと言うし、死神のメッセージは絶対のものとして受け入れるのだ。
だからこそ、あのエンディングの残酷さ、能力を持って適切に管理しつつも時は来てしまう様に切なさを抱くのである。