『田舎の日曜日』休日の終わりの寂しさ

田舎の日曜日(1984)
UN DIMANCHE A LA CAMPAGNE

監督:ベルトラン・タヴェルニエ
出演:ルイ・デュクルー、サビーヌ・アゼマ、ミシェル・オーモン、ジュヌヴィエーヴ・ムニシュetc

評価:60点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

最近、U-NEXTユーザーなので、映画漁りをしている。その中でずっと観たかったベルトラン・タヴェルニエの『田舎の日曜日』を観た。これがタイトル通りの映画で笑ってしまった。

『田舎の日曜日』あらすじ

樹木美しいパリ郊外の田舎の秋。1912年のある日曜日の朝。画家ラドミラル氏(ルイ・デュクルー)は、パリから訪ねてくる息子のゴンザグ(ミシェル・オーモン)一家を駅に出迎える仕度をしている。ラドミラル氏の面倒を長年にわたってみている家政婦メルセデス(モニーク・ショメット)が今朝も台所の準備に余念がない。ラドミラル氏が門を出ると、白い服の少女ふたりが縄とびをしている。駅に向かったラドミラル氏は、道の途中でゴンザグ一家を迎えることになる。彼は70歳を越えた脚のおとろえをまざまざと感じるのだった。ゴンザグと嫁のマリー・テレーズ(ジュヌヴィエーヴ・ムニック)と、孫娘で体の弱いミレイユ(カティア・ボストリコフ)と孫息子たちリュシアン(クァンタン・オジエ)と、エミール(トマ・デュヴァル)らが訪れて、賑やかになったラドミラル氏の邸に、また一人めったに訪ねてこない娘イレーヌ(サビーヌ・アゼマ)がやって来た。それは、最新型4輪自動車ドラージュを運転して愛犬キャビアとともに、みんなが昼食を食べて午睡に入った時だった。パリでファッション・ブティックをオープンしたばかりで若々しく美しい彼女は、久しぶりに実家に帰りリラックスするが、彼女は恋に悩んでいる様子だ。恋人からかかってくる筈の電話を待っているのだ。今はいない母(クロード・ヴァンテール)のイメージが現われてイレーヌに言う。“人生にどこまで望めば気がすむの”。ミレイユが木に登って降りれなくなるという騒ぎが起こる。なんとか救い出されるが、今度は、パリからかかる筈の電話がかかってこないのに苛立ったイレーヌがパリに発つと言い出す。娘をなだめて、自分のアトリエに招いたラドミラール氏。彼は、数年前までは風景画を描いていたが、最近はアトリエの中の椅子等のオブジェを描くように変わっており、そこに父の絵に対する苦悩を見るイレーヌ。屋根裏部屋に行った彼女は、そこで美しいレースのショールをたくさん見つけるが、その奥に情熱的な画を発見し感動する。イレーヌに誘われてドライブに出たラドミラル氏は、森の中のレストランで妻の想い出をしみじみと娘に語る。そんな父にイレーヌはいっしょに踊ってと言い出す。二人が家に戻るとパリからの電話が彼女を待っていた。直後、とりみだして去る娘を、そっと送り出す父。夕方になり、ゴンザクたちをいつものように見送った彼は、帰路、ふたりの少女が目に映る。アトリエに入ったラドミラル氏は新しい画布に向かうのだった……。

映画.comより引用

休日の終わりの寂しさ

フランスバカンス映画は好きなのだが、ここまでガチで「田舎の日曜日」に全振りしていると驚かされる。ジャック・ロジエ映画のような修羅場もなければ、愛にまつわる議論も希薄でおじいちゃんがワイワイ、ゆっくり楽しんでいる姿をピエール=オーギュスト・ルノワールのような陽光で捉えて見せる。そのため、生き急ぐ現代人である私にとって結構退屈に感じてしまったものの、ラストに思わず泣いた。

人々を見送り、屋敷へ戻ったおじいさんが伽藍洞になった空間の中、クラシック音楽が流れる中で佇むのである。

休日の終わりはどこか寂しいものがある。それを空間で表現して見せる作品に悪いのはない。なので嫌いに慣れないのである。