モデル(1980)
MODEL
監督:フレデリック・ワイズマン
評価:80点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
アテネ・フランセで開催中のフレデリック・ワイズマン特集。例のごとく平日にも開催されているため、会社員にとってまたしても全部追うことができない訳だ。とはいえ、ワイズマンの高密度な世界は定期的にチビチビ味わうものだと思っているので、今回も気が向いたものを観るようにしている。『ストア』目的で、ついでに観た『モデル』だったのだが、これが想像以上に面白かった。私自身、小学生の頃に2年ぐらいオスカープロモーションでキッズモデルをしていただけに懐かしさもありつつ、ワイズマンが編集で語ってみせる広告と映画の違いの慧眼さに圧倒された。
『モデル』概要
ニューヨーク市でも最高のモデル事務所であるゾリ・マネージメント社を舞台に、化粧品やデザイナーズ・ブランドのCMやファッション・ショー、広告などの仕事をする男女のモデルたちを追っている。彼らを取り巻くエージェント、カメラマン、撮影スタッフやデザイナーなどの姿を通してファッション・ビジネス界のありさまが描かれる。
表層と反復
「きみ、169cmなんだ、NYじゃ無理だね。演技の方を勉強しなよ、そっちの業界はまだ厳しくないぜ。」
モデル志望の女性を門前払いするところから映画は始まる。たとえ身長が170cmあったとしてもモデルの中では身長が低い方で「洗練された」振る舞いより「初々しさ」で売り込もうとする。広告写真は表層が10割だ。CMも同様だ。演技による当人の個性などは伝わらず、クライアントが求めるイメージに合ったスタイルかどうかが重要なのだ。
映画もその慣習に従い、モデル同士のドロドロとした人間関係に踏み込むことはない。ドライに広告が完成するまでの過程を描く。中盤にて、たった15秒ぐらいのCMが作られるまでの過程が描かれる。シーンはたった3場面。どれも10秒に満たない。しかし、その場面を生み出すために、延々とリテイクが続く。監督がモデルに指示を出すも、なかなかOKが出ない。素人からしたらどれも同じ運動にしか見えない。いいショットが撮れたとしても、万が一のことを考え、さらに撮影が行われる。CGがない時代なので、人力で異なる角度の足のショットを合成していくのだが、気の遠くなる作業となっている。
確かにモデルをしていた時にやたらと時間がかかったことを思い出した。宣材写真を撮るにしても「目が笑っていない」といった抽象的な指示に子どもながら困惑した記憶がある。ポップミュージックがガンガン鳴り響く中、カメラマンが刹那の決定的瞬間を捉え続けるのだ。
対してフレデリック・ワイズマンはデモや八百屋のおじちゃんが道路で果物をぶちまける決定的瞬間を捉える。広告業界におけるショットは反復により生まれるものであるのに対し映画、特にドキュメンタリーの場合、膨大な一回性の中ショットから選ばれるものであることを示唆しているのだ。この視点に感銘を受けたのであった。