『私ときどきレッサーパンダ』ディズニー&ピクサーの変容

私ときどきレッサーパンダ(2022)
Turning Red

監督:ドミー・シー
出演:サンドラ・オー、ロザリー・チアン

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

『インサイド・ヘッド2』について語る際に、どうしても『私ときどきレッサーパンダ』について触れる必要があるなと感じ今更鑑賞した。やはり、『インサイド・ヘッド2』は本作の延長線上にある作品であった。

『私ときどきレッサーパンダ』あらすじ

「トイ・ストーリー」「モンスターズ・インク」など数々のヒット作を生み出してきたピクサー・アニメーション・スタジオによる長編アニメ。親の前で本来の自分を抑えていることに悩む少女メイが、ある日突然レッサーパンダに変身してしまったことから起こる騒動や、変身の裏に隠された秘密を描く。監督は、ピクサーの短編「Bao」を手がけ、アジア系女性で初めてアカデミー短編アニメーション賞を受賞したドミー・シー。

伝統を重んじる家庭に生まれ、両親を敬い、親の期待に応えようと頑張るティーンエイジャーの少女メイ。母親の前ではいつもマジメで頑張り屋でいる彼女だったが、本当は流行りの音楽やアイドルも大好きで、恋をしたり、友達とハメをはずして遊んだり、やりたいこともたくさんある。母親の前で本当の自分を隠す日々を送るメイは、本当の自分がわからなくなり、感情をコントロールすることができなくなってしまう。悩んだまま眠りについた彼女は、翌朝目を覚ますと、なんとレッサーパンダになっていた。突然のことに驚くメイ。しかし、その変身の裏にはある秘密があった。

Disney+で2022年3月11日から配信。第95回アカデミー長編アニメーション賞ノミネート。2024年にはコロナ禍で劇場公開が見送られた他のピクサー作品とともに劇場公開が実現。

映画.comより引用

ディズニー&ピクサーの変容

ディズニー&ピクサー作品はここ5年ぐらいで変化しているように感じている。端的に言えば明確な悪役(悪意を持って敵対する存在)を置かずに物語を進行させるようになってきたということだ。『私ときどきレッサーパンダ』は転換の一本として考えることができる。

トロントのチャイナタウンで暮らすメイは学校ではチャラチャラしているが、家では優等生である自分を母に提示していた。しかし、ある日性癖イラストを母親に見られてしまったことから羞恥心が爆発してレッサーパンダに変身してしまう特性を得てしまう。

本作は思春期が持つ羞恥心の表現として「レッサーパンダになる」が効果的に使用されている。「レッサーパンダになる」とは、ありのままの自分が露わになった状態である。通常、自分の内面があらわになる状況は自分の恥部を見せることでもあり、自分を知る者に見られる状況は耐え難いものがある。しかしながら、メイは感情をコントロールする中で「ありのままの自分」を誰に見せるのかを切り替えられるようになってくる。ここで、儀式を行わないと「レッサーパンダに身体を乗っ取られる」みたいな概念が出てくるのが面白い。これはVTuber論におけるアバターに「喰われる」状況に近いだろう。ありのままの自分を提示し続ける中で文脈が生まれていき、「ありのままの自分」でいるためのあるべき姿に囚われてしまい、心身に異常が来す可能性がある状況を示唆しているように思える。

さて、今回敵対する存在は母親である。ただ、毒親という感じというよりかは少々過保護といった普通の母親だろう。母はレッサーパンダになったことがあるから、親身にメイに向き合おうとする中で対立が生まれる。母親自身も家族の伝統に縛られており、母としてあるべき姿との葛藤の末に感情が乱れ、暴走していくのである。そのため、この映画には明確なヴィランは存在しない。着地点も対話による妥協点を見出すことになっているのだ。

『インサイド・ヘッド2』ではより一層敵対関係を希薄化させていき、対立が生じたときに排除ではなく共存を見出すところに力点が置かれている。ここにディズニー&ピクサーの強いメッセージが隠されていると感じた。
※映画.comより画像引用