ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ(2023)
The Holdovers
監督:アレクサンダー・ペイン
出演:ポール・ジアマッティ、ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ、ドミニク・セッサ、テイト・ドノヴァン、キャリー・プレストン、ジリアン・ヴィグマンetc
評価:90点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
第96回アカデミー賞にて意外にも5部門ノミネートしており、サラっとダバイン・ジョイ・ランドルフが助演女優賞を受賞したクリスマス映画『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』がようやく日本公開された。人情喜劇を得意とするアレクサンダー・ペイン監督作だ。ペインの作品は嫌いではないのだが、年間ベストに入れるような作品はないと思っていた。特に本作の場合は『ダウンサイズ』の「ウルトラQ 1/8計画」のパクリ疑惑どころの話ではなく、サイモン・スティーヴンソンが未製作の脚本「Frisco」を盗作したと訴えている問題が発生している。そのため、あまり期待せずに観たのだが、これがまさかの大傑作であった。アカデミー賞の候補の中で一番出来の良い作品だったのだ。そして、特撮マニアを落胆させつつも、サイズ差による社会に干渉できなくなった者がクソみたいな終焉を迎えつつある地球を前にいかに実存のありどころを確保するかを会話劇で魅せた『ダウンサイズ』を経ての進化を感じさせる一本に仕上がっていた。ただ、厄介なことに本作をネタバレなしで語るのは困難である。実際に動画で本作の魅力についてネタバレなしで語ってみたのだが、上手くいかなかった。そこでここでは腰を据えたネタバレ評を書いていく。
『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』あらすじ
「ファミリー・ツリー」「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」の名匠アレクサンダー・ペイン監督が、「サイドウェイ」でもタッグを組んだポール・ジアマッティを主演に迎えて描いたドラマ。
物語の舞台は、1970年代のマサチューセッツ州にある全寮制の寄宿学校。生真面目で皮肉屋で学生や同僚からも嫌われている教師ポールは、クリスマス休暇に家に帰れない学生たちの監督役を務めることに。そんなポールと、母親が再婚したために休暇の間も寄宿舎に居残ることになった学生アンガス、寄宿舎の食堂の料理長として学生たちの面倒を見る一方で、自分の息子をベトナム戦争で亡くしたメアリーという、それぞれ立場も異なり、一見すると共通点のない3人が、2週間のクリスマス休暇を疑似家族のように過ごすことになる。
ポール・ジアマッティが教師ポール役を務め、メアリー役を「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」「ラスティン ワシントンの『あの日』を作った男」のダバイン・ジョイ・ランドルフ、アンガス役を新人のドミニク・セッサが担当。脚本はテレビシリーズ「23号室の小悪魔」「ママと恋に落ちるまで」などに携わってきたデビッド・ヘミングソン。第96回アカデミー賞では作品賞、脚本賞、主演男優賞、助演女優賞、編集賞の5部門にノミネートされ、ダバイン・ジョイ・ランドルフが助演女優賞を受賞した。
ウソ/ホントの乱反射
1970年、マサチューセッツ州にある寄宿学校のクリスマス休暇。成績不良かつ家庭の事情で寄宿舎に残ることとなった5人の生徒は、嫌われ者の歴史教師ポール・ハナム(ポール・ジアマッティ)と2週間暮らす。
本作が面白いのは、『ブレックファスト・クラブ』のように属性の違う学生同士の仲が深まっていくタイプの映画に思わせておいて、5人の生徒のうち、4人が開始30分ぐらいでいなくなるところにあるだろう。突然、ヘリコプターが現れ、4人は思わぬクリスマス休暇に入るのだ。そして、ポール・ハナム、残された学生アンガス(ドミニク・セッサ)、料理係のメアリー(ダバイン・ジョイ・ランドルフ)を中心とする会話劇に突入するのである。ここで重要なのは、脚本の関係で大胆に退場させた4人と残った1人との心理差を終盤に配置するところにある。本作は、終始一貫してウソ/ホントの関係、決め台詞の反復によって人間心理を描いていき、ポール・ハナムがボストンの美術館で語る「歴史は過去を学ぶだけのものではない。今を理解するためにある。」に深みを持たせている。
さて、アンガスだけが寄宿舎に取り残される。ポールも監視役から解放されず落胆する。落胆でもって少しだけ心の距離が縮まるのだが、それをいいことにアンガスは食事中にポールが体育の授業で語っていた言葉をそのまま返しながら逃走する。その果てでアンガスは脱臼のケガを負う。家族にそのことを知られたくないアンガス、学校にそのことを知られたくないポールは、互いの利が一致し共犯関係となり、病院での手続きをやり過ごす。このように、ふたりは常に何かしらの共通を持っており、それが生徒/先生の関係を崩す役割を担い続けている。
やがて、それは互いが自分だけのものとして持っていた辛酸、ウソによって隠されていたものを開示するにまで至る。アンガスは、父が亡くなり母が再婚した体で説明していたのだが、実際には本当の父親は統合失調症でボストンから少し離れたところにある精神病院に入れられており、二度と訪れないであろう家族が一緒になる瞬間に辛さを抱えている。だから、あれだけキザに振る舞っておきながら家族写真を隠されるとブチぎれる訳である。一方で、ポールの頑固さは童貞を貫いていることから来ているのかと思いきや、実際には大学を卒業できなかったところから来ていることが明らかとなる。大学で友人に卒論を剽窃され、被害者にもかかわらず学校側から罪を被せられ、腹いせに友人を車で引き、退学となった。彼が本を書こうにも書けないのは、歴史という過去で自分を覆い隠そうとしても大学時代のトラウマと向き合う必要がどうしてもででくるからなのではと推察できる。また、ここが脚本の面白いところなのだが、サプライズが苦手なポールが苦し紛れのクリスマスプレゼントとしてアンガスとメアリーにマルクス・アウレリウス・アントニヌスの「自省録」を贈る場面がある。彼は困ったときのプレゼント用として常に「自省録」をストックしている訳だが、この本自体が人に読まれることを想定していない取っ散らかった理論の本であり、彼の行き詰まりを象徴しているようなものである。だからこそ、メアリーが最後に白紙のノートをプレゼントすることに意味がある。
「自分の言葉でひとつひとつ埋めなさい。得意なんでしょ。」
彼女は、決してだらしなくテレビを見て、料理を作っているだけの無教養な人ではなく「自省録」を理解し、ポールの皮肉芸を模倣した返しができる人物だということが明らかにされる。これが味わい深いのである。
本作の返しでいったら、レストランでブランデーで焼いたアイスの場面は名シーンであろう。アンガスがブランデーアイスを頼もうとするのだが、ウエイトレスに断られる。ポールとメアリーが話術でなんとか頼もうとするのだが、断られる。仕方ないので、アイスとチェリーだけ貰って、車の上でジムビーム焼きをする場面がある。これは今まで頑固で融通の利かなかったポールの裏返しにあたる場面であり、三人が親密になっていることを強調している。外での焼きアイスに失敗するお茶目さもあり、愛くるしい場面に仕上がっている。
最後に映像演出について着目しよう。本作はアメリカンニューシネマのようなフィルムの質感で描かれる。画の切り替えがシンプルな横移動だったり、極端なカメラの引きで凝視や孤独を表現したりと一歩間違えれば古臭く感じてしまうものを多用している。だが、懐かしの映画の軸からズレることがないので、これらの演出がダサくならない。これはアレクサンダー・ペインの職人芸であろう。
クリスマスと正反対の梅雨の時期に観るには異様な一本であるが、最近出会わないタイプのミニマルな人情喜劇に満足したのであった。
P.S.TOHOシネマズシャンテで観たのだが、程よく笑いが起きていていい映画体験であった。