冬の旅(1985)
原題:Sans toit ni loi
英題:Vagabond
監督:アニエス・ヴァルダ
出演:サンドリーヌ・ボネール、マーシャ・メリル、ステファーヌ・フレス、ヨランド・モローetc
評価:85点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
先日から始まったMUBIライブラリの中で注目の激レア作品に『冬の旅』があります。本作は『死ぬまでに観たい映画1001本』にも掲載されている作品。日本では新宿のTSUTAYAにVHSが置いてある程度で、傑作と名高いものの中々観る機会がない作品です。新文芸坐のシネマテークで以前上映があったものの、仕事が忙しく駆けつけることができなかっただけに非常に嬉しい知らせでした。というわけで『冬の旅』の感想を書いていきます。
『冬の旅』あらすじ
冬枯れの南仏の野原。行き倒れの一人の少女。その身許を語るものは何もなかった。ただ彼女がその孤独な旅の途中で出会った人々の記憶の中を除いては……。彼女の名はモナ(サンドリーヌ・ボネール)、18歳。寝袋とテントを担いでヒッチハイクをしながらのあてどのない旅。時折、知り合った若者と宿を共にしたり、農場にしばらく棲みついたりすることはあったものの、所詮行きずりの人々にモナがその内面を垣間見せることは滅多になく、またいずこともなく消えてゆくのが習いだった。ある時、プラタナスの病気を研究している女性教授ランディエ(マーシャ・メリル)がモナのことを拾う。ぽつりぽつりと自らのことを語るモナ。ランディエも彼女に憐れみを覚えるが、結局どうすることもできず、食料を与えて置き去りにする。モナは森の中で浮浪者に犯された。またしても放浪の旅を続けるモナはついにはテムの街で浮浪者のロベールたちと知り合い、すっかりすさんだ様子になってしまった。そしてそこへ、前にモナと空き家の別荘で暮らしていたユダヤ人青年ダヴィッド(パトリック・レプシンスキ)がやってきて、マリファナの取引きのことでロベールといさかいになってモナの住んでいたアジトは火に包まれてしまう。すっかり薄汚れて再び路上に戻ったモナはパンを求めて近くの村に赴くが、今しもそこはブドウ酒の澱かけ祭のさなか。何も知らないモナは彼女に澱をかけようとする屈強の男たちに追われ、恐怖に顔をひきつらせ、そのまま力尽きて路傍に倒れ込む。
※映画.comより引用
アニエス・ヴァルダの自由を謳歌するのは大変だ!
ジョン・クラカワーは『荒野へ』の中で、全てを捨て去りアラスカで一人生活し死んでいった青年を、彼の轍に存在する人の証言で輪郭づけを行なったが、本作はショーン・ペンの『イントゥ・ザ・ワイルド』以上に『荒野へ』のドライな軌跡を色彩のキーとしている。無論、彼女とジョン・クラカワーは無縁ではあるが。一人の女性が霜が出てきそうな土の上で凍死していた。何故、彼女は死んだのか?彼女は何者なのかを、彼女の轍にいる人との交流を並べて描いていく。彼女はフラフラと荒野を歩む。井戸から水を分けてもらおうにも、住人から明確なOKをもらう前に、ギコギコ機器を動かし、「水が出ない」と半ばキレ気味に主張する。そしてフラッとカフェに入るや、男にサンドウィッチを奢られるが、奢られて当然でしょと傲慢な態度で突き進む。
ガラス瓶回収の箱に向かってビンを投げつけて暇を潰す不良青年に絡まれようが中指を立てて、人の家にホームステイすることになっても礼儀など知ったこっちゃないように振る舞う姿。現代社会からするとモンスター極まりない無軌道に大地を蹂躙する彼女だ。そして当然のことながら、多くの人々は彼女を拒む。
アニエス・ヴァルダは『ヤンコおじさん』や『落穂拾い』を観ると分かるようにヒッピー系の監督である。法とか社会秩序とかはあるけど、自由を主張する国フランスなんだから他者の所有物とはいえ、落ちているモノや空間は共有していいでしょ?共有する自由を主張してもいいでしょ?と映画の中で訴えかける監督である。
そして、本作は劇映画の中で彼女の自由な精神が炸裂した作品であり、サンドリーヌ・ボネールのゴツく捻くれた表情のインパクトで観る者を圧倒させていく作品だ。点を並べただけのような作品で、対して彼女の行動原理に目的が伴っていないので、人によっては退屈するかもしれないが、個人的に大好きな一本でした。
P.S.邦題も英題もそうだが、アニエス・ヴァルダ映画お得意の言葉遊びのニュアンスを伝えきれていないところが結構残念。直訳すると「屋根も法もない」。案外そのままでもいけそうな、ちょっと変えて「家も法もない」でもいけそうな気がする。少なくても『冬の旅』は味気ないなと思う。
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