ジョン・F・ドノヴァンの死と生(2018)
The Death and Life of John F. Donovan
監督:グザヴィエ・ドラン
出演:キット・ハリントン、ナタリー・ポートマン、スーザン・サランドン、ジェイコブ・トレンブレイetc
評価:40点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
2014年から噂になっていたグザヴィエ・ドランの初英語映画『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』が日本で公開されました。ここ最近のグザヴィエ・ドランは感性の爆発を魅せていたテン年代前半から逃れようとし、スランプに陥っている感じが強い。一抹の不安を抱えながら劇場へ向かいました。
『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』あらすじ
「Mommy マミー」「たかが世界の終わり」などで高い評価を得ているカナダ出身の若き俊英グザビエ・ドランが、初めて挑んだ英語作品。2006年、ニューヨーク。人気俳優のジョン・F・ドノヴァンが29歳の若さでこの世を去る。自殺か事故か、あるいは事件か、謎に包まれた死の真相について、鍵を握っていたのは11歳の少年ルパート・ターナーだった。10年後、新進俳優として注目される存在となっていたルパートは、ジョンと交わしていた100通以上の手紙を1冊の本として出版。さらには、著名なジャーナリストの取材を受けて、すべてを明らかにすると宣言するのだが……。物語は、ドランが幼いころ、憧れていたレオナルド・ディカプリオに手紙を送ったという自身の経験から着想を得た。出演は「ゲーム・オブ・スローンズ」のキット・ハリントン、「ルーム」のジェイコブ・トレンブレイをはじめ、ナタリー・ポートマン、スーザン・サランドン、キャシー・ベイツら豪華実力派がそろった。
※映画.comより引用
《何者》かになった彼が見た《何者》にもなれなかった人生
19歳の時に『マイ・マザー』を作り、いきなりカンヌ国際映画祭デビューを果たし、『Mommy/マミー』でゴダールと審査員賞を分け合った若き天才グザヴィエ・ドランは、あまりにも早い成熟期を迎えている。自分の映画史を振り返り、自分の感性の新しい拠り所を探すように、『たかが世界の終わり』、『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』、『Matthias & Maxime』を作った。さて今回観た『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』は、2014年から話題になって中々完成しなかったグザヴィエ・ドラン初の英語作品だ。
成功し堕落した若い俳優と、彼が文通していた少年の数奇な物語を描いているのだが、朝井リョウが『何者』を書いたのと同じ質感を感じた。
詰まるところ、《何者》かになったドランが、《何者》にもなれなかった人生を覗き込み、自分と向き合う、ある種のNOSTAL自慰映画になっているのだ。
グザヴィエ・ドランはゲイであり、また精神不安定な時代を経ており、それが『マイ・マザー』ないし『Mommy/マミー』で描かれている。
シングルマザーの苦悩を他所に、俳優のジョン・F・ドノヴァンにルパート・ターナーがのめり込み、勝手に文通をし更には学校で自慢し始めたりし周りをかき乱す。それを、10年後、結局大した役者にもなれず《何者》にもなれなかった地点から回想されていく。
ユニークなのは、インタビュー形式で回想されていく本作の骨格が、「真実はいつも一つ」と無意識に思っているライターと「事実はいつも一つだが、真実は無数にある」と無意識に思っているルパートとの不協和音の中で回想されていくのだ。故に序盤は、信用できない語り手ものの質感を持っており、「実は母がジョン・F・ドノヴァンになりすまして、手紙書いていたのでは?」と思ったりするのだが、堕落するドノヴァンと《何者》かになろうとする少年、そしてその結果を読み解いていくうちに、無限に広がる真実が持つ孤独さを知り、ルパートが語る真実を信じたくなってくるのです。
無論、本作はカンヌ国際映画祭の出品を諦めてしまう程製作に難航したせいもあり、とっ散らかっているし、グザヴィエ・ドランの痛々しいもがきも虚しく、好奇な目のクローズアップ、孤独を象徴するピンぼけな後ろ姿、音楽ゴリ押しに、感情と感情をぶつけ合うドラン映画のクリシェに縛られたままな作品なので、失敗作であるのは間違いない。
ただ、才能が枯れてしまったと思っていたドランに微かな希望も見えたりするので、『Matthias & Maxime』には期待したいところである。
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