【ネタバレ考察】『ミスター・ガラス』シャマランはアベンジャーズに闘いを挑んだ

ミスター・ガラス(2019)
GLASS

監督:M・ナイト・シャマラン
出演:ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソン、ジェームズ・マカヴォイ、アーニャ・テイラー=ジョイetc

評価:60点

『シックス・センス』の驚愕どんでん返しにより、映画ファンから毎回過度な期待をさせてしまう呪いに掛っているM・ナイト・シャマラン。そんな彼が密かにMARVELやDCのユニバースに対抗したシャマラン・ユニバースを作っていた。『アンブレイカブル』、『スプリット』と来て、今回の『ミスター・ガラス』はその集大成となった。Rotten Tomatoesの批評家評は悪かったものの、日本では相次いで「今年ベスト1」という呼び声が高い。一抹の不安を抱え、親友と映画館に行って来ました。

『ミスター・ガラス』あらすじ

不死身のデヴィッド、異常なIQの高さをもつミスター・ガラス、多重人格者ケヴィンは精神科医ステイプルの手によって一箇所に集められる。ステイプルは、この世にヒーローなんていないと、超人的パワーを否定していくのだが…

シャマランが遠藤周作の『沈黙』を描いたら?

本作は、露骨にアベンジャーズ批判の映画となっている。そして、シャマランがヒーロー論について130分抗議する作品となっている。シャマランは、まず《AVENGER》という単語がそもそも《復讐》を意味する言葉であると指摘する。AVENGERSってヒーロー面しているが、本来はヴィラン(悪役)にこそ相応しい名前なのではないか?という仮説のもと、3人のダークヒーローとのアンサンブルを形成して行く。ヒーローとは、失意の淵から生まれるものだと語り、陰日向で苦しんでいる超人を世に知らしめようとミスター・ガラスは画策する。それに対して、精神科医ステイプルは徹底的に超人的パワーを否定して《ヒーロー》という存在を消し去ろうとする。

本作を観ていて思ったのは、これは遠藤周作の『沈黙』と同じ話なのではないかという事だ。『沈黙』は、17世紀日本にとって駆逐されるべき異教であるキリスト教を徹底的に弾圧し、キリスト教信者の宗教観をへし折ろうとする話でした。本作における宗教は、まさしく《ヒーロー》だ。ヒーローを信じる事にとって、悲劇的で陰日向で暮らす者たちが生きる希望を見出す。しかし、その《ヒーロー》という宗教が世の中に伝播することを好ましく思っていない人が、彼らを閉じ込め、改宗するよう拷問する。その構造の中で、ヴィランとして生きるか、ヒーローとして生きるのかを考え対立していくというシステムとなっている。シャマランは独自に作り上げた超ミニマルな《シビル・ウォー》を通じて、結局ヒーローとヴィランは紙一重で、どちらの立場に立つかで常に変わるものだと訴えるのだ。

いつもは、自由自在に映画を作るシャマランが、初めてとも言えるであろう、ここまで強烈にメッセージ性を打ち出したのは!ちょっと説教臭さと、頭でっかち鈍重な物語運びになっていたので、割と退屈だったのだが、笑いあり、驚きありの作品でした。

やっぱりあったどんでん返し

本作にも思わぬどんでん返しがありました。結局、デヴィッドもミスター・ガラスもケヴィンも死んでしまった。抗争の末、オオサカタワーでの決闘は実現せず終わってしまった。結局、彼らは陰日向な存在で終わってしまうのか?と思われたのだが、面白い事に、ステイプルが設置した大量の監視カメラのデータをハッキングして、息子たちが世界に動画配信したのだ。

我々は、ヴィランたちの活躍にばっかり目がいっていたのだが、よく目を凝らすと序盤から「監視カメラ」を強調していた。なんならシャマラン監督がカメオ出演して、監視カメラを買うギャグまで挿入しているのだ。灯台下暗しなこのオチは非常に面白かった。そして、ヴィランとその親族の活躍により、陰日向で絶望の淵にいる者に希望を与えるエンディングは割と好きでした。これは、続編が気になりますね。アーニャ・テイラー=ジョイのスーパーパワーをもっと観たくなりました。

P.S.カイエ評がきになる

シャマランといえば、カイエ・デュ・シネマです。カイエ紙は大のシャマラニストで、『シックス・センス』は無視しているにも関わらず、ダサくと名高い『レディ・イン・ザ・ウォーター』をその年のベストテンに入れていたり、『スプリット』に対しても満点を与えている。まだallocineで評は発表されていないのだが、 非常に気になります。

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