鱒(1982)
LA TRUITE(1982)
監督:ジョゼフ・ロージー
出演:イザベル・ユペール、ジャンヌ・モロー、
ダニエル・オルブリフスキー、
ジャック・スピエセル、山形勲etc
評価:60点
先日からアンスティチュ・フランセ東京とジャック&ベティで開催中のゴーモン特集。今回、ブンブン最大の目玉はジョゼフ・ロージーの『鱒』だった。タイトルに厨二病心(?)擽られ、またイザベル・ユペールが東京観光する映画だと聞き、極め付けは日本未DVD映画だということで、これは地を這ってでも行かねば!と意気揚々、朝一で並びチケットを確保しました。ジョゼフ・ロージーといえば、カルト映画『召使』の監督だ。
『鱒』あらすじ
フランスの片田舎で鱒養殖で生計を立てている夫婦。ある日、ボーリングをしていると大手企業の重鎮らしき者に戦いを挑まれる。妻が、重鎮軍団をフルボッコにすると、「東京に行かんか?」と言われる。かくして、夫をフランスに放置して未知の世界ニッポンを堪能するのだった…もしもジョゼフ・ロージーが『俺ら東京さ行ぐだ』を映画化したら…
ジョゼフ・ロージーの『召使』に関しては、大好きだが、なんでこれがカルト映画扱いなのかがよく分からなかった。しかし、本作を観ると、「あっロージーってカルト監督だな!」と気がつく。本作はイザベル・ユペール扮する鱒養殖場で働き、アル中の夫と暮らしている女の狂ったシンデレラストーリーだ。この狂いようにはシンデレラガール、ジュリア・ロバーツ(『プリティ・ウーマン』、『ノッティングヒルの恋人』でシンデレラ・ガールを好演)も嫉妬間違いなしだwなんたって、夫とボーリングしたら、富豪にボーリングバトルを持ちかけられる。そして、ユペールが富豪をフルボッコにしたら、「東京行かんか?」と言われるのだ。夫も行こうとするがお断り、家でお留守番放置プレイだ。
テレビも無ェラジオも無ェ
自動車もそれほど走って無ェ
(幸運なことにボーリング場という名の娯楽だけはあります)
俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら
銭コァ貯めで 東京で《鱒》飼うだ〜な内容なのだ。
かくして、ど田舎暮らし、トーキョー?何それ?美味しいの?ガールはトーキョーへ潜入する。しかし、特にミッションも何もなく、『ロスト・イン・トランスレーション』が如く彼女もまた放置プレイされるのだ。勝手にドンドン事が進む混沌の中、彼女は世界10ヶ国、3万3千人とヤッタ好色一代女の美魔女から「おやりなさい、西洋の罪意識なんか捨て」と地球の歩き方を教えられ覚醒する。
『鱒』:よりによって、南アフリカ映画『ミラクル・ワールド/ブッシュマン』が映り込み、大草原不可避だw pic.twitter.com/a0bukuzFJK
— che bunbun (@routemopsy) 2018年7月8日
自由奔放に、カーテレビ、ディスコ、金閣寺もびっくり金色ホテル、味噌田楽、激流下り、ゴールデン街にあるバー『ラ・ジュテ』、スピリチュアルな儀式を片っ端から体験し、勝手に出世していく。
あまりにも、どうかしている描写の連続、時系列、夢と真が入り乱れる世界に困惑しかなかったのだが、妙にダサカッコイイ音楽と長回しのコントラスト、どうした?としか言いようもないセリフの数々に釘付けでした。
ジョゼフ・ロージー流シンデレラストーリー批判
ただ、これはジョゼフ・ロージーのシンデレラストーリーに対する強烈な皮肉と考えると急に腑に落ちる。
急に王子が現れたことで、彼女は夢のような体験と最高の地位を手に入れ、リッチになる。しかし、それは夫を、家族を、自分を棄てることだ。大量生産、大量消費されるシンデレラストーリーが、得られるものだけにフォーカスを当て、失われるものに対しては全力で無視する。失われるものに言及しても、それは物語を盛り上げる塩胡椒、生姜レベルに過ぎない。
『召使』で、地位というフレームに押し込められたキャラクターのフレームを破壊していく事で、通俗を皮肉った。今回は、日本ロケでそれをやってのけている。極端なまでに、それも誰が観ても「どうかしている」と思わずにはいられない御都合主義を、独特の風土ある日本を舞台に描くことで、異様さが際立つ。そして、シンデレラストーリーの普段、さほど気にしない「喪失」の側面が浮き彫りになってくるのだ。ジョゼフ・ロージーおそるべし!
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