「沈黙-SILENCE-」篠田正浩版と遠藤周作の原作を比較してみた!

沈黙-SILENCE-(1971)

沈黙

監督:篠田正浩
出演:岩下志麻、
岡田英次、丹波哲郎、
デヴィッド・ランプソンetc

評価:40点

遂にマーティン・スコセッシ監督の
新作「沈黙」
の予告編が解禁した。
遠藤周作の同名小説の映画だが、
台湾での撮影が難航し、
日本では2017年1月21日
に公開が決まりました。

今回は、スコセッシ版を
観る前の予習として、
遠藤周作の原作と
篠田正浩監督が1971年に
撮った作品を比較したので、
それの報告をするぞ~
(スコセッシ版「沈黙」感想はコチラ

)

「沈黙」あらすじ

沈黙

島原の乱鎮圧後の日本。
イエズス会のフェイラが日本で
拷問に遭い、棄教したらしいと
噂を聞き、弟子のロドリゴと
ガルペは軟弱なキチジローを
頼りに隠れキリシタンの
たちに出会い手がかりを探すが…

島原の乱直後の日本史

日本史で誰もが習う「島原の乱」
江戸時代、ポルトガルとの交易が
あった日本にとって、招かれざる
輸入品が「キリスト教」だった。

ポルトガルの司祭たちは
キリスト教を布教することで、
勢力拡大及び利益を獲得しようとするが、
日本はかなりの強敵だった。

江戸の階級社会、士農工商制度を
揺るがし貧しい農民から反発が
出るのではと恐れた徳川幕府は
日本各地にいるキリシタンを
弾圧・迫害し始めた。

そこで起こった最大の戦争が、
1637年の島原の乱である。
天草四郎を大将とし、
江戸幕府と壮絶な戦いが起きるが、
結局キリシタン側は敗北。
それにより、徳川幕府は
一国一城令を発令したり、
ポルトガルとの国交を
断絶するなどし、
鎖国への道を歩んだ。

小説版「沈黙」は
そんな閉鎖的な
日本に潜入した
ポルトガル人の視点を
日本人である遠藤周作が
リアルに描写した
ことが評価された作品である。

凄惨さ控えめ、丹波哲郎…?

沈黙2

映画版では、小説版に
比べ拷問シーンが控えめとなっている。
もちろん、キリシタンを縛り
暴行を加える描写は今観ても
目を背ける程キツイ。
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ラストにかけてエスカレートしていく
暴力シーンや、踏み絵の魅せ方も
なかなかだと思うが、
やはり小説版の描写には
かなわないなと感じた。

特に、本作では描かれなかった
前書きのシーン。
「囚人に服を脱がせ、
両手と両足を縄でくくりつけ、
半カナーラくらい入る柄杓で
熱湯をすくい、各人の上に
ふりかけた。それも一気に
するのではなく、柄杓の底に
いくつか穴を開け、苦痛が
ながびくようにしておいたのである。」

読むだけで背筋が凍る詳細な
拷問について描写されている。

また、クライマックスの
汚物の入った穴に入れられる
キリシタンの叫びをロドリゴ
が聞くシーン。
原作では、
「自分がこの闇のなかでしゃがんでいる
間、だれかが鼻と口から血を流しながら
呻いていた。自分はそれに
気がつきもせず、
祈りもせず、笑っていたのである。」

またフェイラは
「私が転んだ(棄教した)のは、
穴に吊られたからではない。
三日間….このわしは、
汚物をつめこんだ穴の中で
逆さになり、
しかし一言も神を裏切る言葉を
言わなかったぞ。」

「わしは必死で神に祈ったが、
神は何もしなかったからだ」

と述べており、
如何に拷問が凄惨だったかが、
文字で痛い程伝わってくるのだ。

篠田正浩監督版は、
やはり表面上の「痛み」描写
しか描けておらず、
ロドリゴやフェイラの
苦痛が十分表現しきれていないのでは
と感じた。

と同時に、何故フェイラ役を丹波哲郎に
やらせたのかが疑問でしょうがなかった
(スコセッシ版ではフェイラは
リーアム・ニーソンが演じます。)

暴力描写に長けているマーティン・
スコセッシ監督ならそこは改善されている
だろうとは思うが、予告編を観ると、
どうもサムライ映画の美学を引きずり
過ぎているような印象を感じ
一抹の不安を感じる。

果たして吉と出るか凶と出るか、
2017年1月21日に確認したい。

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