【アラン・ロブ=グリエ レトロスペクティブ ネタバレ考察】『囚われの美女』マグリットの絵からみる夢の不合理性

囚われの美女(1983)
LA BELLE CAPTIVE

監督:アラン・ロブ=グリエ
出演:ダニエル・メズギッシュ、ガブリエル・ラズール、アリエル・ドンバールetc

評価:65点

今、渋谷イメージフォーラムでアラン・ロブ=グリエ特集が開催され、密かに話題となっている。アラン・ロブ=グリエとは、あの最強難解映画『去年マリエンバートで』の脚本を手がけた人物だ。読書好きな人は、『消しゴム』や『覗くひと』を書いた人物と聞くとピンと来ることでしょう。今回、グリエ監督作が6作品も観られる特集となっている。今年もベストテンを作る時期になった。師走の追い込みにと行ってきました。そして『囚われの美女』と『ヨーロッパ横断特急』を鑑賞しました。

『囚われの美女』あらすじ

ダンスフロア、男は美女に魅せられる。男が車を走らせると、美女は血を流して倒れていた。彼女を屋敷に連れて行くと、女は鎖で縛られ、男共々部屋に監禁されてしまう。そして何故か、裸になる女。男は女と交わろうとする。しかし、、、女は消えてしまう、、、

謎を解く鍵はマグリットにあり!

今回『囚われの美女』と『ヨーロッパ横断特急』を鑑賞して、『去年マリエンバートで』の構造に対して理解が深まった。と同時に、アラン・ロブ=グリエは人間の記憶による惑いに取り憑かれた人物であることがよく分かった。本作は、量子力学の重ね合わせの理論さながら、相反する事象を層のように積み上げ観客に提示していく。死んだはずなのに生きている、夢でありつつ現実でもある。寝ても覚めても、美女の幻影に翻弄される男の話になっている。ある意味夢オチだし、『不思議の国のアリス』や『未来世紀ブラジル』のようなオーソドックスな夢混沌ものである。しかしながら、アラン・ロブ=グリエがぐちゃぐちゃに、事象と事象を並べてかき回すものだから、観ていると段々何がなんだか分からなくなってくる。解こうとしたら余計ドツボにハマる知恵の輪なのは判り切っているのに解きたくなってしまう魅力がこの作品にあります。

さて、この作品はルネ・マグリットについて意識すると、スルスルと謎が解けていく仕組みとなっています。

ルネ・マグリットとはベルギー生まれの画家でシュルレアリスム運動の重要人物だ。彼の作品は、一見すると現実を描いているように見えて、現実ではありえない描写がある。夢の中の不合理性を突き詰めた作家だ。例えば、《光の帝国》では空は青いのに、家は真っ暗で街灯がぼんやりと光る、昼夜の共存を描いている。

さて、本作のタイトルはまさしくマグリットの『囚われの美女(LA BELLE CAPTIVE)』から来ている。マグリットは、風景とキャンバスの同化という表現を発見した。『人間の条件(LA CONDITION HUMAINE )』『滝(La cascade)』等でも使用されているのだが、風景の中にキャンバスを置き、キャンバスに書かれた風景なのか、実際の風景なのかが曖昧になっていく様を表現している。本作では、タイトルから、マグリットに対するオマージュを捧げている。海辺に額縁を置く。額縁にフィルターを貼り、セピア色にすることで、違和感を強調させる。額縁がなければただの風景だが、額縁を置くことで、フィクション=虚構が生まれる。映画とは、そもそも風景をカメラが捉え、虚構を生み出すメディアであることをメタ的に表現している。そして、映画の中で、度々この海辺と額縁の構造が反復される。額縁は取れるが、中にある幕は残存する。遠近の感覚からして、手前にあると思っていたものが遠くにあったりする。マグリットの絵画のように、海辺にキャンバスを置き、デジタル処理でキャンバスの後ろにある風景を写す。しまいには、VHSの荒い映像の中でこのマグリット的構造を反復する。

くどいように挿入される、この海辺のショットこそ、アラン・ロブ=グリエの哲学が凝縮された旨味と言えよう。置きた事象は一つでも、時間の経過と共に、人々の記憶が変化していき、事象は目まぐるしく変わって見える。「真実はいつもひとつ」とどこかの誰かさんは豪語しているが、真実なんて変わってしまうもんだ。グリエは、真実の多様性についてちょっぴり厭世的に、がっつり変態的に描いて魅せた。そこまで得意な映画ではないが、『去年マリエンバートで』の根底ルールがこの記憶の惑いにあることが判り、またマグリットを別の角度から観ることができたので、観て正解でした。

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