【見逃シネマ】『少女邂逅』孤独な少女は蚕と邂逅し、白い糸を辿りながら光を目指した…

少女邂逅(2018)

監督:枝優花
出演:保紫萌香、モトーラ世理奈etc

評価:80点

今年も残り僅かとなってきました。この時期になると映画ファンは年間ベストテンをどうしようか悩み始めるもの。そして、1年を振り返り、見逃した映画を悔やむ時期だ。ブンブン、今年は『ミスミソウ』『閃光少女』『少女ピカレスク』、そして『少女邂逅』と少女系の注目作品を相次いで見逃してしまいました。特に、評判が高く映画×音楽の祭典MOOSICLAB2017で観客賞を受賞した『少女邂逅』を見逃したのは痛かった。このままでは年を越せない!と思い、『少女邂逅』を観てみたのですが、これが素晴らしい作品でした。

『少女邂逅』あらすじ

人が一生のうち、人と何らかの接点を持つ確率2万分の1
そのうち友人と出会える確率2億4千万分の1
そして、親友と出会える確率24億分の1らしい…

いじめに遭い、学校に居場所のない少女ミユリ(保紫萌香)は《蚕》と邂逅する。「紬」と名付け育てることにしたミユリだったが、クラスメイトにそれがバレてしまい暴力を受けてしまう。周囲にSOSを発信しようとリストカットを試みるができない。そんな彼女の前に謎の転校生「紬」(モトーラ世理奈)が現れる…

閉鎖的学校空間を超絶技巧で見つめる傑作

『さよならスピカ』で第26回早稲田映画まつり観客賞、審査員特別賞を受賞、翌年に発表した『美味しく、腐る。』で2年連続の観客賞を受賞した新気鋭監督・枝優花は、《蚕》と《邂逅》を結びつける言葉遊びから力強い物語を生み出した。学校という閉鎖空間で抱く孤独、あるいは学校にも家にも居場所のない人の苦痛を描いた作品は、トリュフォーの『大人は判ってくれない』やブレッソンの『少女ムシェット』の時代から度々作られている。日本でも、インディーズ映画の鉄板としてよく作られている。そして、これらの作品は、観客の心に眠る孤独の時代を呼び覚まし、ノスタルジーとカタルシスを生み出す効果があり割と傑作が多い。ただ、『少女邂逅』はこの手の作品群に埋もれることのない表現で観る者の心を鷲掴みにします。

いじめられている少女は、SOSの信号を発信しようとリストカットを試みるができない。学校にも家にも居場所がない彼女唯一の友達は「紬」と名付けた蚕だ。しかし、その友達をクラスメイトの手によって失うこととなる。哀しみに暮れる彼女の前に、長い糸が横たわる。糸をだとると、謎の美少女の元に辿りつく。リストカットしたような腕の傷から生えている糸。その不気味さに一度は、逃げ出してしまうものの、惹かれるように彼女とつるむようになる。

孤独で絶望しかない閉鎖的学校空間、そこに差し込む一抹の光を渇望する。そういった話はよくあるが、この作品は一抹の光を掴んだ後を大事にしている。

映画×音楽の祭典MOOSICLAB2017出品作品にも関わらず、音を失った世界が延々と続く本作。ミユリが転校生「紬」と親友になり、楽しい日々が始まると画面が二分割され、そして水本夏絵の歌が流れる。カタルシスを強調させる音楽の使い方に目が行きがちだが、この二分割された映像を読み解くと、これが見掛け倒しでないことが分かる。左の画面では寒色ベースの色彩の中、少し離れた場所から二人の少女を映す。右の画面では暖色ベースの色彩の中、ミユリの主観映像が映し出される。これこそが学校という閉鎖空間を象徴している。友達の輪の中にいる時は暖かいが、少し離れると寒々しい。ミユリは、友人の輪に入り暖をとることができず、寒々しい荒野を彷徨っていたことが強調されるのだ。そして、この中盤の見せ場が終わると、「紬」を媒体に急激にミユリの周りに友達が集まり、暖かい空間が生まれる。

枝優花監督は、積極的に映画的表現を通じて少女が掴もうとしている《光》を捉えようとした。この力強い演出に完全に魅せられました。

そして『少女邂逅』は単なる光を掴む者の話に収斂させることはしなかった。友人が増えていくうちに、ミユリの目には孤独な「紬」が映るようになっていく。まるで今までの自分の轍を体現するかのように「紬」が見えてきて、そして次第に自分の手から離れていってしまう「紬」に申し訳なさを感じていく。それが独特な幻影となって押し寄せてくる。これは、地を這うようにして光を掴んだいじめられっ子にしか分からないような感情だ。光を掴み、後ろを振り返ると悲惨だった頃の自分の残像が見える。その残像を振り払い空を飛べるか?あるいは、その残像をも愛し、天空に持っていくのか?といった迷いが、幻想的な映像で表現されていたのだ。

そして、少女が迷路のように入り組んだ学校空間の中から自己を見出し着地するクライマックスに涙が出てきました。

もちろん、本作は新人監督のインディーズ映画ならではの甘さもある。例えば、冒頭、リストカットしようとするミユリの場面の次の教室のシーン。先生が、「タトゥーやリストカットは変身願望だ」と語る。あまりにも説明的だ。また、そのシーンで先生はミユリに音読をさせようとするが、声が出ず、仕方なく先生は彼女を座らせる描写があるのだが、あまりに間が短い。同じような場面から始まる『志乃ちゃんは自分の名前が言えない

』と比べると雑な演出と言える。

ただ、そんなのは些細なこと。枝優花という新たな才能の萌芽をブンブンは応援したい。幻想的であるが思春期の生の心情を汲み取る。そして記憶とともに忘れ去られそうな青春の傷を一つの映画に閉じ込めた。これは、2018年最重要邦画の一つであるのは間違いありません。新宿武蔵野館で9週間もロングランしたのも納得の作品でした。アップリンク渋谷で開催される「見逃した映画特集FiveYears」でも選出されている、また来年1月16日にはBlu-ray&DVDがリリースされるので、少しでもピンときたら是非挑戦してみてください。

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