【ネタバレ考察】『ボヘミアン・ラプソディ』ライブエイド、フレディの有終の美がMagnifico!

ボヘミアン・ラプソディ(2018)
Bohemian Rhapsody

監督:ブライアン・シンガー
出演:ラミ・マレック、ルーシー・ボーイントン、グウィリム・リー、ベン・ハーディetc

評価:70点

伝説的ロックバンドQueenのヴォーカル、フレディ・マーキュリーの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』が公開されるや否や、Twitterで絶賛の嵐となっている。本作は、アメリカで公開されると、批評家にボロクソに言われたものの(Rotten Tomatoesの評価は2018年11月11日現在61%まで回復している)、大衆の心にはドストライク。『グレイテスト・ショーマン』並みの批評家と一般観客の温度差となっている。

DAILY BEASTの記事”‘Bohemian Rhapsody’ Is an Insult to Freddie Mercury(『ボヘミアン・ラプソディ』は、フレディ・マーキュリーに対する侮辱だ)“によると、

His next significant encounter with a man is with former manager Paul Prenter, almost cartoonishly depicted in the film as a predator who drags Mercury into a sordid partying lifestyle with his other gay friends. Those evil gays! They’ll ruin your life!

ブンブン訳(誤訳あったらすみません):フレディの次の重要な男との出会いは、以前のマネージャーのポール・プレンターであり、彼は他の同性愛者の友人たちと一緒にマーキュリーを熱狂的なパーティーのライフスタイルに導く捕食者として映画に描かれています。 それらは邪悪なゲイとしてだ! 彼らはあなたの人生を台無しにするでしょう!

とフレディのバイセクシャルな側面を悪として描いていることに対し、怒りを顕にした上で、さらに掘り下げて酷評をしている。

Then the screenplay rewrites history. Mercury reveals to his bandmates that he has AIDS while they’re rehearsing for their Live Aid performance. But Live Aid was in 1985. Mercury was diagnosed in 1987. Bohemian Rhapsody insinuates that it’s this tragic news and some sort of existential confrontation with his own mortality that motivates his triumphant Live Aid performance, a cruel and manipulative version of tragedy porn that is inaccurate and perpetuates the trope of AIDS as punishment for gay promiscuity.

His relationship with Hutton is written into the script as a framing device. He and Mercury first meet when the singer is depicted on a dark path of sex and drugs, and Hutton disapproves. But they meet again near the end of the film, when Mercury has had his AIDS-triggered come to Jesus. “Learned his lesson,” you might say. As Pier Dominguez wrote for BuzzFeed, the scenes depicting his relationship with Jim “[come] across as an attempt to redeem Mercury’s queerness with a ‘respectable’ partner.”

More, the antiquated condemnation that surrounded his gayness is confusing given how chaste his sex life and partying is depicted.

There’s a superficiality to all of it that we’d imagine Mercury would have been appalled by. Bohemian Rhapsody only glances at his racial identity and the complicated feelings and shame he had about that. It only glances at his sexual identity and the complicated feelings and shame he had about that. It only glances at his feelings about masculinity, his genius complex, his drug issues, his relationship to fame. None of these things are erased, but they’re also never dug into. It’s a surface-level treatment that insinuates that these things all had some negative effect on his life, or that he had only tortured feelings about them, which is hardly true at all.

ブンブン訳(誤訳あったらすみません):その後、脚本は歴史を書き換えます。マーキュリーは仲間にエイズを抱えていることを、ライブエイド(LIVE AID)に向けたリハーサル中に明らかにする。ボヘミアン・ラプソディは、この悲劇的知らせ且つ、彼の勝利との実存的な対決であり、勝利のライブエイドのパフォーマンス、不正確でゲイの乱行に対する罰としてのAIDSという名の比喩で、扱いやすい感動ポルノとしての解釈をほのめかす

ハットンとの関係は物語の装置としてスクリプトに書かれています。彼とマーキュリーは、歌手が性的行為や薬物の暗い道に描かれたときに初めて会い、ハットンは不参加となる。しかし、彼らは映画の終わり近くに再び会う。マーキュリーがエイズに誘発されて反省しに来た時。 《彼の教訓を学んだ》と言うかもしれません。 ピア・ドミンゲスがBuzzFeedのために書いたように、ジムとの関係を描写したシーンは、《尊敬できるパートナー》とのマーキュリーの奇妙さを償還しようとしています。

さらに、彼のゲイを取り巻く古風な非難は、どのように彼のセックスライフとパーティーが描かれているかを考えると混乱しています。

マーキュリーが驚いていただろうと思っていたことは、すべての面白さです。ボヘミアン・ラプソディは彼の人種的なアイデンティティーと、彼がそれについて持っていた複雑な感情と恥を目の当たりにしています。彼は性的アイデンティティーと、それについて持っていた複雑な感情と恥に直面する。彼は男性性、天才の複合体、薬の問題、名声に対する彼の関係についての彼の気持ちだけを見ている。これらのものは消し去ることはできませんが、決して深掘りされていません。それは、これらのことがすべて彼の人生に何らかの悪影響を及ぼしていることを喚起する表面的な扱いです。

批評家の事実を捻じ曲げたストーリーテリングの切り口から酷評していくスタイルはフランスの批評家も同様に行われている。例えば、ル・モンド誌は次のように評している。

si Queen compte pour vous, s’il vous importe que Mercury, qui est mort en 1991, n’ait appris sa maladie que des mois après Wembley, que sa manière d’être ouvertement gay sans jamais le dire vous semble digne d’une dramaturgie complexe, alors Bohemian Rhapsody vous paraîtra sans doute insuffisant, voire insultant pour la mémoire de l’homme qui incarnait Queen.

もしQueenがあなたにとって重要なのであれば、1991年に亡くなったマーキュリーが、ウェンブリーの数ヶ月前まで病気を学んでいないことが重要であれば、 ボヘミアン・ラプソディーはあなたには疑いもなく、Queenを具体化した男の記憶に不十分さを感じる、あるいは侮辱しているように見えます。

そんな『ボヘミアン・ラプソディ』ですが、ブンブンは数ヶ月前からこの作品を楽しみにしていた。何故ならば、ブンブンは『ボヘミアン・ラプソディ』という曲に小学生時代とてつもなくショックを受けたからだ。出会いは、ハッチポッチステーション。グッチ裕三の洋楽替え歌で、『犬のおまわりさん』と『ボヘミアン・ラプソディ』を融合させていたのだ。元ネタを知らないブンブンは、曲調が目まぐるしく変わるこの曲に魅了された。そして、元ネタもグッチ裕三に負けないぐらい狂っていて衝撃を受けたのだ。そこから洋楽に魅せられていった。ある意味、ブンブンの音楽史の中で重要な作品の一つなのだ。そして、本作はライブエイドに向かって物語がドライブしていく。しかも、にわかQueen好きであるブンブンが知らないことを沢山教えてくれるらしい。

そして監督はブライアン・シンガー。『X-MEN』シリーズで、変わり者(=ミュータント)の生き様を描いてきた人だ。彼なら、マーキュリーの数奇な人生、及びQueenという変わり者集団の人生を素敵に描いてくれるに違いない。確かに、彼は映画の製作中に失踪し、クビとなり、監督がデクスター・フレッチャーに変更となった(クレジット上はブライアン・シンガーのまま)のだが、それでも予告編を観る限り面白そうだった。

そして土曜日に観てきました。うん、確かにこの作品は問題が多い。しかしながら、その問題はマクロな視点で観たときに、物語上必要な問題だということに気づいた。そして、Queenを知ってようが知らなかろうが、涙無くして観ることのできない作品であった。特にクライマックスのライブエイドシーンは

Manifico!!!!!!!

としか言いようのない素晴らしいシーンであった。

さて、ようやく、ブンブンの考察を始めるとしよう。尚、ネタバレ注意です。

→NEXT:ブンブンの『ボヘミアン・ラプソディ』評

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