【考察】『13回の新月のある年に』新説:『愛のむきだし』の元ネタがファスビンダーだった説

13回の新月のある年に(1978)
In einem Jahr mit 13 Monden

監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
出演:フォルカー・シュペングラー、イングリット・カーフェン、ゴットフリート・ヨーンetc

評価:70点

ユーロスペースで開催中のファスビンダー特集で、幻の作品『13回の新月のある年に』を観てきました。

『13回の新月のある年に』あらすじ

ファスビンダー監督が伴侶アルミン・マイヤーの自殺による悲しさから製作した作品。7年おきに来る《太陰年》に新月が13回巡る年が重なると、なす術もなく破滅する者が必ず幾人も現れる。性転換し、名前も女性名に変えたエルヴィラは、彼氏に去られる。自分の居場所を求める様に、街を彷徨うのだが…

居場所を渇望する…

ファスビンダー幻の映画『13回の新月のある年に』を観てきた。本作は、同性愛者であるファスビンダーの感情が吐露された極私的映画である。

物語は夜明けの川沿いから始まる、男二人川辺で交わる。しかし、「おい、チンコねぇじゃん!おめぇさては?」と片方が叫び始め、ゲイ仲間がリンチをする。そしてボロボロになった男が帰宅する。彼の名はエルヴィラ。性転換し、名前もエルヴィンからエルヴィラへと変えたのだ。

人を狂わせる13回の新月のある年に、そんなエルヴィラは地獄巡りをすることとなる。伴侶に棄てられる。昔の人に会いに行くが、皆家族がいたり、仲間がいたりと社会ができている。男でも女でもない自分に悩まされながら、居場所を見つけようと彷徨う、、、

今やLGBTQという言葉が社会に浸透し、またSNSの発達で、性の面で悩める者たちはコミュニティを容易に作ることができるようになった。

しかしながら、ネットもない時代。この手の悩みは、自分の中に抱えるしかなかった。容易に居場所は見つからないのだ。ファスビンダーは本作で、自分の人生を見つめ直す。映画的面白さよりも、一人相撲によるセルフカウンセリングを取った。だから正直、割と体感時間が長くキツイ作品だ。ただ、それは単に私向けの映画ではなかっただけだ。安易に踏み入り地雷を踏んだに過ぎなかった。

新説:『愛のむきだし』の元ネタがファスビンダーだった説

寧ろ、本作による発見を語る方が良いだろう。実は、園子温の『愛のむきだし』は露骨に本作の影響を受けていたのだ。『愛のむきだし』ではAAAの西島隆弘演じるパンチラ盗撮魔兼女装趣味の男の人生が描かれている。彼が女装する時、《サソリ》と名乗り、梶芽衣子の格好をする。言わずがない『女囚さそり』のオマージュだ。
しかし、園子温はファスビンダーの大ファンで『ANTIPORNO』では『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』の真似事をする程彼の映画に魅せられている。

さて、『13回の新月のある年に』のエルヴィラは梶芽衣子そっくりな黒ずくめの格好をしている。しかも、男と女の狭間で愛する者に対して渇望する。愛をむきだしていくのだ。『愛のむきだし』も男と女の狭間で満島ひかり扮するヨーコを渇望し、宗教団体に殴り込みにいく話だ。詰まる所、『13回の新月のある年に』のリメイクが『愛のむきだし』だという説を唱えることが出来るのだ。

故に『愛のむきだし』ファンは是非ユーロスペースで本作を観た方が良い。きっと面白い体験になることでしょう。

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