『累 かさね』土屋太鳳が美味しくなったぉ♬

累 かさね(2018)

監督:佐藤祐市
出演:土屋太鳳、芳根京子、横山裕、筒井真理子etc

評価:80点

予告編では全く食指が動かなかったのだが、評判が高かったのでTOHOシネマズフリーパスで観てきました。実はブンブン、大の土屋太鳳嫌い(ファンの方すみません)。ただ、Twitterを見ると、土屋太鳳がどうやら覚醒したらしい。これはワンチャンあるのでは?と思い、意を決して観てきました。これがダークホース傑作であったことをここに報告します。

『累 かさね』あらすじ

松浦だるまの同名漫画の映画化。顔に大きな切り傷のある女《累》の前に、マネージャーだと名乗る男・羽生田はぶたが現れる。彼に連れられ、演劇を観に行き、そこでスランプの女優ニナと出会う。羽生田はぶたの囁きによって、累は魔法の口紅で、ニナと顔を入れ替えることに。累はうち秘めた演技力で、ニナのスターへの花道を切り開いていく。しかし、段々と憎悪と嫉妬から、二人はいがみ合い…

土屋太鳳の覚醒!

ブンブンが土屋太鳳が嫌いな理由。それは、可愛さに《自惚れたあざとさ》にある。とはいえ、このあざとさは広瀬すずと同じだ。しかし、広瀬すずとは違い、土屋太鳳の場合、可愛さという殻に閉じこもって、「演技」ができていないのだ。その代表例が『orange

』。いくら薄幸の乙女を演じているからって、掠れ声で囁くように演じている姿は、到底観てられない。爽健美茶のCMで「美味しくなったぉ」と言っているが、ハリボテのような演技だ。ってわけで、今までは彼女の作品をできるだけ観ないように避けてきた。しかし、今回、前言撤回!土屋太鳳、サイコーだ!遂に、可愛さという殻を破り覚醒した。

『キサラギ』で注目され、『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』、『脳内ポイズンベリー

』と演劇っぽい世界観を映画に翻訳する技術を磨いている佐藤祐市監督が、集大成のように描く映画と演劇、現実と虚構の思考実験に応えるかのように土屋太鳳は様々な階層の演技を魅せる。

この作品では、口紅を使って顔を入れ替えるという設定なので、土屋太鳳と芳根京子が累とニナを交互に演じる。累は表面上は地味で、闇を抱えているのだが、一度演技をすると、月影千草が「恐ろしい子ッ!」と白目になりながら叫びそうなほど豹変する。一方、ニナは傲慢でぶりっ子であざとい、そして演技がド下手という役。土屋太鳳は、自身がよく陥る掠れ声の下手演技というのをしっかり理解し、ニナを演じている時は、いつもの土屋太鳳で演技をする。しかし、累を演じている時は、生気を失ったかのような、何かに怯えたような仕草を魅せる。そして、アントン・チェーホフの『かもめ』やオスカー・ワイルドの『サロメ』を演じている時は、全く違ったオーラを魅せる。殺気が出たり、フッと生気が無くなったり、妖艶に踊って見せたりと、次から次へと予想もつかない動きをする。そして、その混沌から、二つの人格が累ね合わさっていく姿に胸踊らされた。また、本作は『サロメ』を意識して作られており、嫉妬が執着が人格を奪う様子を描いているために、入り乱れる土屋太鳳、芳根京子に燃えた!特に土屋太鳳の狂乱に胸ぐらを掴まれた。

佐藤祐市の織りなす多層構造

このように本作は、『サロメ』を軸に、分身を軸に現実と虚構の狭間を紡ぎ出している。演劇ではなく、映画で行うことで、「演じる人を演じる」というところに深みがましている。演劇は、観客の前に作られた虚構。現実の前にある虚構の前で役者が演じている。また、セリフが観客に伝わるように腹の底から声を出す。つまり、観客は強烈に虚構を突きつけられて観る。そこには虚構しかない。しかし、映画の場合、セットなのか、実際の風景なのか境目が分からなくなったりする。音響の関係で自然体で演技をすることが可能となっている。演劇と比べると「現実」を意識する機会が多い。その違いというものを佐藤祐市は見事に表現した。

それにより、

不安が魂を食らう
嫉妬が魂を貪り
憎悪が骨の髄まで吸い尽くす

過程が非常に奥深く見えた。

本作はダークホースとして面白い!

美味しくなったぉだ!

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