【自主ベルイマン生誕100周年映画祭】『インド行きの船』ベルイマン流『アタラント号』

インド行きの船(1947)
英題:A Ship Bound for India
原題:Skepp till Indialand

監督:イングマール・ベルイマン
出演:ビルイェル・マルムステーン、ホルゲル・レーヴェンアドレル、
イェートルド・フリードetc

評価:50点

YEBISU GARDEN CINEMAになかなかいけないので勝手に自宅で《ベルイマン生誕100周年映画祭》開催中のブンブン。今回は、『インド行きの船』に挑戦してみました…

『インド行きの船』あらすじ

フィンランドの劇作家マッティン・セーデルイェルムの同名戯曲の映画化。老いた船乗りアレクサンデルとその息子ヨハンネスは踊り子サリーを巡って激しく対立する。アレクサンデルは、失明する運命だった。そんな彼を棄て、息子はサリーと新たな旅へと向かう…

ベルイマン流『アタラント号』

イングマール・ベルイマンといえば、デヴィッド・リンチやデヴィッド・フィンチャー、ウィリアム・フリードキン等の様々な監督に影響を与え、時にヴィジュアルをもろパクられているイメージが強い。ベルイマン映画を観ると、ベルイマン以前の作品では観られないようなクールで刺激的なヴィジュアルが待ち受けていたりする。これは、映像を撮ったことがある人であれば真似したくなるのも無理はない。しかし、そんな彼もかつては、他の監督の作品からヴィジュアルを真似ていた。

本作は明らかにジャン・ヴィゴの『アタラント号』を意識している。船に《人生》を象徴させ、船の外側に一期一会や別れといった人生の転換を強調させる。そして、船の中にいけば行くほど、人の内面の移ろいが強調されて行く。ベルイマンは、そんな『アタラント号』の技術に自分の父との確執を注ぎ込む。厳格老害な父は、息子に「お前は俺に攻撃できない。何故ならば腰抜けだ。」と言い煽る。父は、失明する運命にあるのだが、そこには息子が、周りが見えなくなることへのメタファーが込められている。船乗りとしての運命を背負いながらも、なんとか父からの呪縛から解き放たれようとする様子を、船の脱出に象徴させ、家庭の崩壊を船の沈没で表現する。長編三作目にして『アタラント号』の技術を自身の色に染める技術力の高さを伺えた。

しかしながら、本作でのベルイマンは、まだヴィジュアル系監督になりきれていない。これが10年後、13本後に『第七の封印』という究極のヴィジュアル映画を撮り、開花すると考えると非常に胸熱である。

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