【大人の自由研究】m&m’sを食いながら観る2つの『M』

m&m’sを食いながら観る2つの『M』

皆さんは、フリッツ・ラングの『M』という作品をご存知だろうか?映画史を少しでも勉強したことがあるのであれば、『メトロポリス』と共にフリッツ・ラング監督のこの代表作の存在を認知したことでしょう。しかし、フリッツ・ラングのフィルモグラフィーが意外な形でリメイクされたり、そもそも彼の作品が別の作品のリメイクだったりすることは意外と知られていない。例えば、『緋色の街/スカーレット・ストリート』はジャン・ルノワール監督作『牝犬』のリメイクだ。また、『条理ある疑いの彼方に』は2009年に『ダウト 〜偽りの代償〜』としてリメイクされている。そして、何よりも驚いたのは、あの『M』が20年後にリメイク、それも『召使』や『鱒』のカルト映画監督ジョゼフ・ロージーの手によってリメイクされていたのだ。これにはブンブンも驚かされた。そして、先日、Amazonで購入し取り寄せてみました。シネマヴェーラで丁度フリッツ・ラング特集が開催されていることもあり、ブンブン対抗してこんな企画を立ち上げました。題して《特集上映:m&m’sを食いながら観る2つの『M』》だ。

折角、フリッツ・ラングの『M』とジョゼフ・ロージーの『M』を観比べるのなら、楽しく比べたい。ということで、m&m’sを3袋用意して、食べながら鑑賞してみました。

※一応ネタバレ記事なので要注意です。

フリッツ・ラング版『M』

監督:フリッツ・ラング
出演:ピーター・ローレ、オットー・ベルニッケ、
グスタフ・グリュントゲンスetc

本作は、今観ても色褪せない面白さがある。まず、冒頭の少女誘拐のシークエンス。ドイツ式かごめかごめが映し出される場面から妙な空気が流れている。男が『ペール・ギュント』を口ずさみながら少女に迫る。このシルエットの不気味さが、強烈に脳裏に焼きつく。そこから、捜査が始まる。コンパスを使った描写、警察が一列に並びながら街を巡回する異様な光景一つ一つが、映像を撮ったことがある人なら真似たくなるものばかりだ。
最近の映画でいうならば、アンドレイ・ズビャギンツェフ監督の『ラブレス

』でもろ引用されている。森の中を警察が探索し、その果てに映る枯れ木、水面と反射しロールシャッハ・テストのような不気味な造形を形成するあの木の雰囲気は明らかに本作を意識している。そして、観客はハッキリと、犯人のシルエットを目撃した。犯人を知っている筈なのに、犯人が分からない。誰が悪なのかが分からない怖さに心がかき乱される。そして、いつしかベルリンの市民と同じ立場になって、恐怖土地を彷徨うこととなる。

本作が凄いのは、観客を物語の世界に没入させた後に待ち受ける終盤の展開だ。犯人をビルに追い詰め、群衆が彼を地下室に押しやり尋問する場面。犯人は、「俺にも権利はある」と叫ぶ。しかし、彼の弁護人は、塩対応する。そして、群衆が次々と、彼を死刑にする為の口実を語り始める。「確かに法に基づいてお前をムショにぶち込むことはできる。しかし、やがてお前は出所し、また子どもたちを誘拐するだろう。お前は生かしておけぬ。消さねばならぬ。」と数の暴力でもって彼を死刑にしようとするのだ。

ここで、観客の背筋は凍る。狂気なのは、犯人ではない。自分たちの方が、狂気であり凶悪だったと。日本は、先日地下鉄サリン事件関係者を次々と死刑にしていった。国という巨大権力でもって、殺人を正当化した。果たして、これは良いことなのか?フリッツ・ラングの視点は、今でも通用する強いメッセージ性を持っていました。

ジョゼフ・ロージー版『M』

監督:ジョセフ・ロージー
出演:デヴィッド・ウェイン、ハワード・ダ・シルヴァ、
マーティン・ガベルetc

『M』ってドイツ語における《Mörder=(殺人者)》から来ているのだが、幸いにも英語の殺人者もMurderと《M》が頭文字だったので、見事舞台をロサンゼルスに映すことができた。こちらは、フリッツ・ラング版と比べると88分と短い為、勢い勝負なところが強い。なんたって、撮影監督が『キッスで殺せ!』のアーネスト・ラズロ、それに監督もヴィジュアル重視勢い重視のカルト監督ジョゼフ・ロージーなのだから。

基本的に展開はフリッツ・ラング版重視の多少映像構図をいじっている二番煎じ感溢れる作品なのだが、終盤に驚くべきことが発覚した。あのリドリー・スコットは、『ブレードランナー』を撮影する際、恐らく本作を参考にしているのだ。これは決して、終盤の『ブレードランナー』でデッカードがレプリカントと戦う場所が本作のクライマックス同様ブラッドベリービルだからといった短絡的なことではない。犯人がブラッドベリービルに逃げ、マネキンが大量に置かれている部屋に身を潜めるシーンの構図まで『ブレードランナー』とそっくりなのだ。正直、びっくりした。

そして、さらにクライマックスの尋問シーンはもっと驚かされる。フリッツ・ラング版と比べると、弁護士的ポジションの人が、犯人の擁護を全力でするのだ。ヴィジランティズムを猛烈に批判し、人情を垣間見せる。そして救いの光が見えたところで、その弁護士が銃殺され、犯人が警察に連行されてしまい、そこでTHE ENDとなるのだ。フリッツ・ラングに負けないショッキングなシーンに阿鼻叫喚した。

最後に…

どちらの『M』も、群衆が敵を成敗する時、そこには犯人が犯した罪以上の暴力性を孕むことを批判した傑作であった。SNS社会となった今、民衆は、特定の個人や団体を数の暴力で叩こうとする風潮が強くなっている。仮想空間で『M』の群衆と同じことが行われている。悪を糾弾するあまり、知らず知らずのうちに自ら悪に染まってしまう。この2本は今でも十分通用する道徳映画と言えよう。良い映画体験でした。

んっ?m&m’sはって?やっぱりピーナッツのm&m’sは美味い!映画との愛称はいいかと訊かれたら、可もなく不可もないのだが、m&m’sを見る目が少し変わった気がしましたw

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