【後半ネタバレあり】『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』は教職課程必修科目だ!

志乃ちゃんは自分の名前が言えない(2017)

監督:湯浅弘章
出演:南沙良、蒔田彩珠、
萩原利久、小柳まいかetc

評価:85点


ブンブンが尊敬している映画ライターのヒナタカさんが、先月からオススメしている作品がある。それが『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』だ。ブンブン、最近は、他人からオススメされた作品は事前情報をシャットアウトして観るようにしている。ヒナタカさんの激推し作品は『ハルチカ

』や『ちはやふる

』シリーズのように比較的自分との相性が良い。劇場で観ておかないと、年末に後悔することが多い。ってわけで、昨日、新宿武蔵野館で観てきました(8割型席が埋まっていました。結構混雑しているので予約をオススメします。)。
そうしたら、、、

大大々傑作だったのだ!

ホームランです!

今日はそんな『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』について、前半はネタバレなし。後半はネタバレありで語っていきます。

ヒナタカさんの記事:『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』が青春・音楽・百合映画として100点満点の理由を全力で語る!

『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』あらすじ

『アバンギャルド夢子』、『血の轍』等問題作を次々と発表している押見修造の実体験に基づく同名漫画の映画化。
高校1年生の志乃は、人前で言葉が上手く話せない問題を抱えていた。そんな彼女は入学式の自己紹介で上手く自分のことが話せず、クラスで浮いていた。おまけに、クラス一のお調子者・菊地に揶揄われ、劣等感を抱いていた。そんな彼女は、意外なきっかけでいつもムスッとしている同級生・加代と仲良くなり、バンドを結成。文化祭に向けて猛特訓するのだった。しかし、、、

教員志望の大学生よ、ダイナソーを観ている場合ではない!

まず、先に言っておきたいことがある。この文を読んでいる、教職課程受講中の映画好き大学生よ、恐竜、ダイナソーを観ている場合ではない。今すぐ新宿武蔵野館へGOだ!

そして、教職課程の授業を担当している大学教授よ、学生に本作をオススメしてほしい。

さて、映画ライターのヒナタカさんがオススメしていたので、事前情報シャットアウトして観に行った。そしたら、まさか『映画 聲の形

』の戦慄世界を実写で、一切の妥協なしに描いた衝撃作だった!話は、吃音症の志乃が、高校に入学するものの打ち解けられず孤立している状態から、音楽が趣味の加代とバンドを組むことで居場所を見つけていくという内容。

完璧すぎて戦慄!恐怖の自己紹介タイム

本作はアヴァンタイトルで、《吃音症の生の苦しみ》を120%魅せるという宣言を観客に叩きつける。入学式、志乃は母親と楽しく会話しいざ学校へ!しかし、どうも様子がおかしい。ひたすらに「私の名前は志乃」と呟き、俯きながら登校するのだ。

そして、新学期そうそうの自己紹介タイム。お調子者の菊池が、「俺の趣味はSEXです!」と叫び、クラスが絶対零度にまで冷えた状態で一人ずつ自己紹介が展開される。自己紹介が苦手な人はよく分かる、「段々と順番が近く恐怖」というのをしっかりと演出する。隣の列の自己紹介を淡々と魅せていき、そして志乃の列はじっくり魅せる。生徒が次々と立って自己紹介していく姿を、まるで壁が迫り来るように演出しているのだ。そしていよいよ、志乃の番。すると、

ああ、、、あぁ、、、お、、、おおし、、、わっわっわた、あっあっあ、、、

と吃って、場が凍りついてしまう。あれだけ、家では流暢だったはずなのに。

この凍りついた教室を、長い時間かけて観客に叩きつける。観客は《観客》という部外者の立場から、《クラスメイト》の立場へと強制転送されるのだ。映画館という逃げられない空間で、観客は修羅場を観る。そう、本作は『映画 聲の形』同様、鋭利なナイフで観客が無意識の彼方に追いやった世界を引きずり出す作品なのだ。生徒、先生の冷たい目線が、彼女を抑圧し、余計に一人の人生を破滅させていることにハッとさせるのだ。

教員の対応に注目

さて、何故ブンブンは冒頭で、教師志望の大学生に観て欲しいと語ったのだろうか?

それは、教員の誤った対応を魅せてくれる最強のモデルケースだったからだ。教員免許を取得したブンブン、教育実習を経験しているブンブンにとって、これこそ大学の授業で観たかった。無論、これから少子高齢化人材不足に伴い、移民を大量に受け入れようとしている日本にとって『パリ20区、僕たちのクラス』を授業で鑑賞させるのは妥当だが、それ以上に本作を授業で観せて欲しいと思うまでブンブンの胸を熱くさせたのだ。この教員の問題点、Filmarksを読むとほとんど指摘されていないので、ここで3つのポイントから語っていく。これから観る人は注目して頂きたい。

教員の問題点1:トラウマを植え付ける指導

まず、担任の教員がが志乃を呼び出して事情聴取する場面。

教員「その話し方生まれつきなの?」
志乃、こくりと頷く
教員「きっと緊張しているだね。積極的に友達に話しかけようよ。まずは自己紹介くらいできないとね。ハイ!」

と、戸塚ヨットスクールばりのスパルタ自己紹介特訓をさせるのだ。しかも、彼女が一生懸命自己紹介しようとしているのに、その教員は哀れみの目で見るだけ。何もアドバイスしようとせず、黙っているのだ。

先生は全く気付いていない。志乃の吃音は『英国王のスピーチ』同様、抑圧、閉塞感によるものだ。本作の巧いところでもあるのだが、志乃は家で母親と話す時や独りの時はスラスラと話せるのだ。つまり、自分が安心できる相手、空間の前では吃音が限りなく無になるのだ。

ただ狭い教室内、それもガラス窓から他の生徒が覗けてしまう見世物空間、そしてまだどういう人物かわからない先生とサシで特訓しても、それは余計に彼女にトラウマを植え付けてしまう。確かに、事情聴取を志乃の正面に座って行う面接スタイルではなく、志乃の横に座って緊張感を和らげる面談スタイルで行なっているところは英断だが、その加点を無にし、マイナス5億点方向真っしぐらな態度をこの教師は取ってしまう。

ましてや、努力しようとする彼女を褒めること一切せず、哀れみの目で見るだけだ。口を開けば、「積極的に声を掛けよう」と、分かりきったことしか言わない。そんなもん、とっくに分かっているよ!

よく、学校だけではなく、多くの場所で落ち込んでいる人に対し、「頑張って」とか「積極的にいこう」といった言葉で勇気付けようとする人がいるがあれは逆効果だ。当事者にとっては、とっくに頑張っていることだし、積極的に活動していることだ。その言葉を投げかけることで、当事者のアクションを否定してしまっている。なので、これらの当たり障りのない言葉は、当事者がアドバイザーに不信感を抱くものなのだ。

また、個人的な話にも通じるのだが、「その話し方生まれつきなの?」って言い方は人を傷つけるパワーワードだ。ブンブンは、流暢に日本語を話すことができないし、中学高校生の時はかなり吃りが激しかった。なので、よく「外国人ですか?」と訊かれる。今となっては「国籍不詳、年齢不詳の男」というギャグとして自己紹介するようにはしているのだが、やはり、「その話し方生まれつきなの?」と訊かれるとムッとします。その言葉から蔑視、軽蔑、異物に対する拒絶感というのが漂うのだ。この教員のその言葉は、まさしくブンブンが今まで、様々な人に投げつけられたソレに等しい。

では、この教員はどういったことを志乃に言えばよかったのか?ブンブンが考えるに、下記のアプローチで彼女の抑圧の壁を取り除いてあげるのが正解だったと考える。

「さっきは緊張しちゃったんだね。先生にもう一度自己紹介してみない?紙とペン用意したからこれに書いて。もちろん、言いたくないことは言わなくていいよ。」

本作の教員は、全力でその地雷を踏んでしまった。これでは吃音が改善されませんよね。

ちなみに余談だが、会社でそういう吃音や話し方が独特な人に対し、「君、話し方変だよ。病院行ったら?」というと、最悪の場合、《解雇》されるので要注意。ブンブン、昔アルバイトしていた頃に、社員さんから「君、話し方変だよ。病院行ったら?」と言われました。ブンブンはいつものことだとスルーしていたのだが、いつしか大ごとになっていて、マネージャーに事情聴取され、数ヶ月後にその社員は解雇されていました。なので、心の中ではいくらでも嫌悪を抱いてもいいが(それくらいは仕方がない)、口に出した途端、貴方の人生は破滅する可能性があります。

教員の問題点2:連携しないことによる事態の悪化

さらに、この担任の先生は、「連携」を放棄している。クラスの問題をなかったかのように振る舞うダメダメっぷりを魅せている。他教科の教員に志乃の事情を伝えていないが為に、彼女は古典の授業で赤っ恥をかく。筆談等の対策もせず、また志乃の親と面談すらロクにしない。志乃の親は、別にモンスターペアレンツでもない。一人で問題を抱え落ち込んでいるだけだ。保護者面談を行って対策できたはずなのだ。

結局、筆談を提案したのはクラスメイトの加代。生徒に出し抜かれるとは情けなさすぎる。

教員の問題点3:放置プレイがもたらす二次被害

極め付けは、お調子者・菊池の対策をしないが故に、《ハブ》というイジメが発生し、それすらロクに対処していないのだ。この教員の放置プレイ癖は、入学式の自己紹介で既に明らかにされている。お調子者・菊池が「俺の趣味はSEXです。」とボケをかまし、教室がドン引きする場面。教員は、そこですぐに止めに入る必要があるのに、スルーを決め込み、「では気を取り直して××さん」と自己紹介を続行するのだ。一度、この教員は『ワンダー 君は太陽

』を観た方が良い。あそこの自己紹介シーンを観て欲しい。トンチンカンなことを言ったら、止めに入るし、その後質問を投げかけることで、生徒の個性や情報を引き出そうとしている。それがちゃんとクラスにも共有されている。教室が冷え切った状態で自己紹介をやらせても、生徒が恐縮して当たり障りのないことを言うだけで時間の無駄となってしまうのだ。それに、菊池のギャグを放置することは後のイジメにも繋がる。そして実際に彼は、ドンドン周りから浮いていき、ついにはハブられてしまうのだ。確かに菊池のウザさは、《動くな、死ね、甦ってくるんじゃねぇ!》レベルだ。しかし、それは人との接し方を知らないからによる。そういう人は野放しにせず、教員がしっかりフォローしなくてはいけない。彼の良さを引き出し、クラスメイトとの良き関係を築き上げる必要があるのだ。

ここまで、ダメダメ先生を生々しくリアルに描いているとは正直驚きでした。

実は『リンダ リンダ リンダ』的話

話は志乃に戻そう。クラスで孤立した彼女は幸運なことに、常にムスッとしている孤独な同級生・加代と仲良くなる。ギターは上手いが、歌は下手な加代。ギターは弾けないが実は歌が上手い志乃。互いに不器用で傷つきながらもバンド活動を始める。《しのかよ》というバンド名を提げて。地獄の先にあるみずみずしい青春ものが漸く観客に提示されるのだ。そう、実は『リンダ リンダ リンダ』に近い青春ものだった。

しかし、決して御都合主義に陥らず、常に荊道。観客も、志乃同様の荊を踏みしめ、心が血だらけになりながら知られざる吃音症、そして対応を学んでいくのだ。

本作は吃音症に対する希望の光だ!

ブンブンも若干吃音症だっただけに、ここまで本気で吃音症と向かい合い、ホンモノの吃音症の苦しみを描き切った押見修造及び湯浅弘章監督に感謝しかない。あの、吃った時の嘲笑とドン引きで冷え切った空間を完璧に再現したこと一つとっても涙です。

また、少しオーバーな気がしたが、南沙良の演技は間違いなく吃音症の人に救いを与えてくれる。

そして、脚本家の足立紳(『百円の恋

』、『お盆の弟

』、『14の夜

』etc)さん、やはり素晴らしい。『嘘八百

』こそ残念だったが、これからも全力で応援したくなりました!

って訳で教員になりたい方は、絶対に観てね!

次のページでは、本作のラストシーンについての考察を書いていく。ネタバレになっているので、未見の方はここまで。今すぐ新宿武蔵野館へGO!

→NEXT:本作のラストシーンについての考察

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