【デプレシャン特集5】『エスター・カーン』デプレシャン、、、おそろしい子!

エスター・カーン めざめの時(2000)
ESTHER KAHN(2000)

監督:アルノー・デプレシャン
出演:サマー・フェニックス、イアン・ホルム、
ファブリス・デプレシャンetc

評価:80点

この前、実家に帰省し、デプレシャン映画の研究をしているゼミに入った妹と話をした。個人的に、年に数本。それも少女漫画原作とかピクサー映画しか観ないような妹と『そして僕は恋をする』の物語構図について意見を交わすことができて、メチャクチャ嬉しかった。そんな妹が、「7月中に『エスター・カーン めざめの時』のレポートを書かなきゃいけないんだけど、DVDある?」と訊いてきたので、Amazonでソッコー購入し実家に送りつけた。『エスター・カーン めざめの時』はTSUTAYA渋谷店に置いてない激レア作品なのだが、Amazonでは、レンタル落ち300円程度で入手できる作品。2000年のカイエ・デュ・シネマ ベストテンで1位になった作品である。デプレシャンとはとことん相性の悪いブンブンだが、果たして…

カイエ・デュ・シネマ・ベストテン 2000年

1位:エスター・カーン めざめの時(アルノー・デプレシャン)
2位:囚われの女(シャンタル・アケルマン)
3位:マン・オン・ザ・ムーン(ミロス・フォアマン)
4位:ミッション・トゥ・マーズ(ブライアン・デ・パルマ)
5位:花様年華(ホウ・シャオシェン)
6位:M/OTHER(諏訪敦彦)
7位:ヴァージン・スーサイズ(ソフィア・コッポラ)
8位:ヤンヤン 夏の想い出(エドワード・ヤン)
9位:スペース・カウボーイ(クリント・イーストウッド)
10位:Les Savates du Bon Dieu(ジャン=クロード・ブリソー)

『エスター・カーン』あらすじ

19世紀ロンドン。内向的で、家族から邪険に扱われているエスター・カーン。冴えない幼少時代を送っていたが、演劇にハマったことで彼女の人生は変わっていく。女優に憧れ、家族に内緒でオーディションを受けるのだ。そして、老優ネイサンに見出され、女優の階段を登っていくのだ!

超変化球版『ガラスの仮面』

本作は、貧しく冴えない女性が演劇に惹き込まれ、女優になっていく『ガラスの仮面』のような作品である。デプレシャンにしては非常にシンプルでわかりやすい作品。これぞ、デプレシャン入門にふさわしい作品と言える。ただし、心理ドラマの巨匠デプレシャンのことだ。案の定一筋縄ではいかない。クセの強い作品となっている。

まず、一番の特徴は、肝心なエスター・カーンが舞台でお客さんを前に演技をする描写がクライマックスまで全くないのだ。クライマックスでエスター・カーンの演技の変化を強調して魅せる為、他の公演シーンでは、ひたすらに客席や周りの役者を映す。しまいには、シーンをぶつ切りにしてしまう。そして次のカットでは、丸枠フォーカスで町人を映し、「エスター・カーン、女優になったらしいよ」と噂をする場面で彼女の人生の変化を説明してしまうのだ。徹底的に、間接的アプローチでエスター・カーンの人生に触れている。この独特なもどかしさを2時間半耐え、ようやく訪れる彼女の真の演技にカタルシスを感じるという意地悪な作品なのだ。

ただ、本作、デプレシャン嫌いのブンブンにとって、珍しく熱中した作品だった。紛れもない傑作だったのだ。本作は、演劇という虚構が、空っぽのアイデンティティを満たしていき、本物の自己を確立していく様子を捉えている。演劇よりも、演劇の外側にある一人の人間の変化が重要な作品なのだ。

エスター・カーンの幼少期は、厳しいイバラ道だった。家族から人間未満、猿として扱われてきた彼女。彼女にとって、家族は宇宙人のような、幽霊のような異次元の存在だ。それを多重露光を用いて、幽霊のように家族を捉えるショットで持って効果的に演出する。

また、サマー・フェニックス扮するエスター・カーンは猿のような動きをし、徹底的に感情・心情が読めない、心が欠落した様子を演出することでクライマックスを強調させている。ヴェルナー・ヘルツォークの『カスパー・ハウザーの謎』と同様の手法を取っている。女優の道に入るエスター・カーン。しかし、序盤の彼女の演技は生気を失っている。幽霊のような所作しかできない。なんで、彼女が老優に見出されたのかが全くわからないほどに下手なのだ。しかし、老優は彼女に何かを感じているらしい。個人レッスンを始める。そして、「いっぱい経験しなさい」という。

その《経験》というのが、フランスらしい。《恋愛》なのだ。男に惚れ、セックスをする。愛、セックスが、空っぽだった彼女の心を一気に満たしていくのだ。そして、恋は彼女を嵐のように掻き乱す。今まで、なんとなく演じていた、ロボットのように演じていた彼女が、急に舞台に出ることを拒み始めるのだ。しかし、重要な公演、彼女が舞台を降りることは許されない。そう、この映画のクライマックスは、舞台に出ることを拒む彼女と裏方のバトルでもって舞台が完成されていく展開となっているのだ。デプレシャンは、ここであえて彼女がセリフを言う場面をサイレントで演出している。これは、『ガラスの仮面』における北島マヤが動きだけで、シチュエーションをその場に築きあげる名場面を映画的に落とし込んだ鋭いテクニックだ。映画は、聴覚・視覚を操る娯楽だ。聴覚を奪うことで、観客の視覚を研ぎ澄まし、エスター・カーンが大女優に化けた瞬間を心の深淵にまで強烈に突き刺す演出と言える。

デプレシャンは、何かに取り憑かれた人の心の機微を捉えるのに長けている。『二十歳の死』では実態なき《死》。『魂を救え!』では実態を伴った《死》。『そして僕は恋をする』では《地位》といったように。本作は、デプレシャン監督4作目にして、自身の型を極め尽くした傑作だ。ガラス細工のように繊細で美しいエスター・カーンの人生にすっかり惚れ込んだブンブンでした。

デプレシャン、、、おそろしい子!

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