【ネタバレ考察】『Vision』河瀨直美の謎を読み解く鍵は中上健次にあり!

Vision(2018)

監督:河瀨直美
出演:ジュリエット・ビノシュ、
永瀬正敏、岩田剛典、美波、森山未來etc

評価:40点

映画友達から、

皆さん、安心してください!何が「安心してください」かって?
つまり、皆さんが大好きな『グレイテスト・ショーマン

』がワースト候補から消えました。

という評価を受け、観に行くことをやめようとしていた作品がある。それが6/8(金)より公開の『Vision』だ。しかし、人気映画ブログ「ナガの映画の果てまで」の管理人ことナガさんが次のように呟いていたので、これは同じ映画ブロガーとして挑まねば!と思い、急遽チャレンジしてきました。

※ナガさんの『Vision』評:【ネタバレ】『vision-ビジョン-』解説・考察:河瀨直美監督が作り出した現代版「古事記」

※ネタバレ全開記事です。また、河瀨直美映画と本作に関して結構キツイこと言うのでご注意ください。

『Vision』あらすじ

幻の植物『Vision』を探すフランスのエッセイスト・ジャンヌは奈良の吉野を訪れた。そこで山守の男・智と心を通わせるうちに神秘なる世界へと誘われていく…

宿敵・河瀨直美について

本作について語る前に、ブンブンと河瀨直美の関係を先に提示しておく必要がある。

ところで、貴方にとって嫌いな監督はいるだろうか?

ふと頭に堤幸彦、山崎貴、本広克行etcといった監督の名前が浮かんだのではないでしょうか?これらの監督は、よく映画ファンの敵として毎作物議を醸し出す。普段あまり映画を観ない観客にはウケても、ハードコアな映画ファンが観ると頭を抱える作品が多い。ただ、これらの監督は、たまに傑作を作るから、ブンブンはまだ許せる。堤幸彦は『天空の蜂

』、山崎貴は『DESTINY 鎌倉ものがたり

』、本広克行は『幕が上がる』、『亜人

』を撮っており、これらの作品は好きだ。だから、憎めなかったりする。

しかし、そんなブンブンを毎回憎悪と嫌悪に包む監督が一人いる。それが、この映画の監督・河瀨直美だ。彼女は、毎回テーマが鋭く、予告編を観る限り、私の好きなタイプの映像で魅了してくる。しかし、いざ映画を観ると、彼女のナルシズムと高慢が前面に出過ぎていて吐き気をもよおすのだ。

例えば、『七夜待

』。タイでバックパッカーをしている女性が、何故かタクシーに乗ると、運転手の家に連れてかれ妙な歓待を受けるという話。大学を国際文化学部で過ごした私にとってこれほど魅力的なテーマはないだろう。しかし、実際に観てみると、タイの文化に土足で入り込み、日本の常識を振りかざして、タイの家族が抱える問題に軽々しく踏み込む姿に怒りしか湧かなかった。「タイに敬意を払え!」と激怒した作品だ。

今までにブンブンが観た河瀨映画は、こんな作品ばかりで、唯一マシな作品である『あん

』ですら、永瀬正敏扮するどら焼き職人の描きこみに不満があった。観終わると、段々と後半の説教くさいある展開が気になってくる作品でもあった。

映画の見方は人それぞれだ。ブンブンの場合、基本的に作家主義的観点から映画を観る。作家主義の観点から映画を観る場合、一番やってはいけない切り口は、作家の人格を否定することだ。これは評論以前に、ネチケットである。

しかし、この作家程、自分を人格否定のダークサイドに引きづり込もうとする監督はいない。私が一番嫌いなタイプ「外国かぶれ」が前面に出ていてフラストレーションが溜まるからだ。

「外国かぶれ」タイプの人間は、高校、大学時代、周りにいたことで徐々に嫌悪感を抱くようになった。この手のタイプは、外国に留学し、外国語で会話から交渉までできる優越感から、日本に留まる人を見下す。また、ドヤ顔で外国人と会話をし始める。それも妙に気取ったアクセントで話す。

無論、この気持ちは分かる。自分もフランス留学後、しばらくはそうだったからだ。海外に住むと、全く違った世界観・思想の違いに翻弄されながらも徐々に自分の骨となり肉となる。そして、その状態で日本に帰ると、日本人が井の中の蛙に見えてしょうがなくなるのだ。ただ、『ブルックリン

』で描かれている通り、海外を知る者は進化するのだ。日本に留まる人を蔑視する「外国かぶれ」の状態から、外国と母国二つのアイデンティティを大切にする人へと。

しかし、河瀨直美の場合、「外国かぶれ」のままずっと突き進んでいるようにしか見えない。『萌の朱雀』でカンヌ国際映画祭カメラ・ドールを受賞してから、ずっとカンヌに媚びるような作品を作り続けている。神秘的なんだけれども、中身がない雰囲気映画を。そして、「日本の観客なんかどうでもいい」(確かに、フランス留学した際に、周りのフランス人は皆彼女の『二つ目の窓』を鑑賞していたぐらい人気監督であった。)と言わんばかりの演出を仕掛けるのだ。故に、私だけでなく多くの日本の映画ファンを不快にさせ、映画芸術では時たまワーストに選出される。
そして昨年公開の『光』では、自分の作品を叩く映画ファンに対する言い訳をセリフに組み込むドン引きシーンが挿入されていた。盲目の人の為の音声ガイドを作る女性が、「私は映画のエンディングは希望を持たせないといけないと思ってます」と語るのだ。希望を持たせるエンディングなんて、セリフに頼らず演出することは容易だ。ましてや光の演出が得意な彼女にとっては十八番中の十八番だ。にも関わらず、このセリフを入れる。しかも主人公は、映画の製作者でもなんでもない。なんなら映画を私情交えず、翻訳するのがミッションなはずだ。そんな彼女にこのセリフを言わすことへの嫌悪感が凄まじく、完全に私の宿敵となった。

毎回、テーマと映像は良いのに、話でもってブンブンを不快にさせる監督・河瀨直美の新作『Vision』。果たして、彼女の人格否定なしに分析できるのだろうか?これから、本題に切り込んでいく。

→NEXT:『Vision』感想&解説&考察

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