“Ç”タルコフスキー卒業制作「ローラーとバイオリン」小津ってる?

ローラーとバイオリン(1961)
КАТОК И СКРИПКА(1961)

ローラーとバイオリン

監督:アンドレイ・タルコフスキー
出演:イーゴリ・フォムチェンコ、
ウラジーミル・ザマンスキー

評価:75点

ブンブンもついに大学4年生。
大学3年間でほとんど単位を
取り終え、ヒマジンブンブンですが、
2つだけ受講している授業がある。

映画の初回授業で、
タルコフスキーの
卒業制作「ローラーとバイオリン」
を観たぞ~

「ローラーとバイオリン」あらすじ

ソ連映画の巨匠アンドレイ・タルコフスキーが
映画大学VGIKの卒業制作で作った作品で
A・ラモリスの「赤い風船」に触発されている。
セレブ家庭の少年は、
労働階級の子供達に
いじめられつつも、
あんまり気乗りのしない
バイオリン教室に通う。

そんなある日、
しがない労働者の
ローラーおじさんと仲良く
なり映画を観る約束をするのだが…

小津ってる!

本作は、様々な資料によると
A・ラモリスの「赤い風船」を
意識して作られたと語られている。

確かに、本作の外枠は同じであり、
少年が大切にしているモノが
「風船」から「バイオリン」に変わり、
それが重要な象徴として使われている。

光の加減も、「惑星ソラリス」や「ストーカー」
「サクリファイス」
等と比べても「赤い風船」
の明るさに寄せた、非常に「陽」の
側面が強い作品となっている。

しかしながら、タルコフスキーは
小津安二郎からも
影響を受けていたのではと考える。
まず、バイオリン教室のシーンでその傾向が
顕著に表れている。小津安二郎が得意とする、
狭い空間での数人の対話シーンを、
イマジナリー・ラインを超えて
撮ってみせる素人がうかつに
手を出すと痛い目を見るショットに挑戦しているのだ。

バイオリン教室の先生と少女と少年の
表情だけで淡い恋心を
タルコフスキーは演出する。
めまぐるしくカメラアングルを
変化させることで、
よっぽど注視していないと気づけない、
むしろカメラの善し悪しよりもストーリー
のスリルに注目させる仕組みになっている。
映画学校の卒業制作として上手い引用ではないかと考えている。

また、住宅街に住む少年達の描き分けに
関しても「赤い風船」よりも
「生まれてはみたけれど」を意識したような形跡があり、

これまた物語に人間味を与えている。
「赤い風船」では、いじめっ子や周りの
大人は風景のように描かれており、
そこに人生の厚みは存在しなかった。
「生まれてはみたけれども」は白帽子の子、
赤帽子の子、ジャイアンみたいな強情な子に、
甘えん坊のチビと登場人物一人一人に役割を与えている。
それ故にサイレント映画ながら
人間味溢れる作風となっている。
「ローラーとバイオリン」では、
いじめっ子の少年にカーストをしっかり定めており、
いじめっ子たちに人生を与えている。
特に、リーダー格の少年がバイオリンを
壊そうと試みたら、あまりの美しさに
バイオリンを壊せなくなった挿話が秀逸といえる。

タルコフスキーの作家性既に!

最後に、この作品を話す上で欠かせないのが
「水」と「鏡」の関係である。
この作品から既に、タルコフスキーの
作家性がにじみ出ており、
水と鏡を使ったイリュージョンを
魅せつけている。特に、冒頭シーンで
少年が鏡を万華鏡のようにして
遊ぶシーンは、通常鏡を
心理描写に使う事への批判であり、
ポストモダンな演出と言える。

子どもの目から見た鏡は単純に楽しいモノだという
表現として的確である。また、
しっかりと別のシーンでは
鏡を少年の不安な心を示すモノとして
使っているので強固な使い方をしている。
ソ連・ロシア映画は難解だが
映像のマジックを魅せてくれる。
それも卒業制作の時点から
魅せてくることを考えると、
世界中のクリエーターが
熱狂するのも無理ない。
ますますソ連・
ロシア映画に魅了されました。

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