【Netflix】『ブレッドウィナー/生きのびるために』これは『この世界の片隅に』アカデミー賞ノミネート落選も納得だ

ブレッドウィナー/生きのびるために(2017)
The Breadwinner

監督:Nora Twomey
出演:Saara Chaudry, Soma Chhaya etc

評価:75点

第90回アカデミー賞長編アニメーション賞で、『この世界の片隅に』を倒しノミネートした『The Breadwinner』が『生きのびるために』というタイトルで先日Netflixにて配信された。予告編を観た時から興味津々だったので早速鑑賞しました。

『生きのびるために』あらすじ

Song of the Sea~海の歌』の美術を手がけたNora Twomeyが、カナダの児童文学作家デボラ・エリスの同名小説を映画化。男尊女卑の文化が強いタリバン。父親が刑務所に連れて行かれた一家。少女パヴァーナは男になりすますことで生きのびようとした。

この世界の片隅に エクストリームモード

本作はカナダの児童文学作家デボラ・エリスがアフガニスタン、タリバンの男尊女卑を暴いた同名小説の映画化だ。

父が刑務所に入れられた一家。タリバンでは、外で何かをするには、男と共に行動しないといけない。男なきこの一家は、町人から何も売ってもらえず、行く先々で暴力を受ける。少女パヴァーナは、男になりすますことで、この地獄を生きのびようとする。そして、父に会うために刑務所に行くことを決意するという内容だ。

本作を観ると、『この世界の片隅に』がアカデミー賞にノミネートできなかったのがよく分かる。アフガニスタンの話をだから?ネタ被りだから?確かにそれもあるが、決定的なポイントとして、「強い女性」を描いているかどうかが決め手となったといえる。

欧米の人は、自律した女性に魅力を感じる傾向がある。『この世界の片隅に』の海外評で叩かれる要因は決まって、「すずさんが成長しない」「すずさんが幼い」というところにある。

本作は、父に会う為に、危機に飛び込む。女性としてのアイデンティティを捨ててまで男尊女卑に立ち向かう少女を描いている。また、実写では決して撮ることの出来ない話をアニメで描くことで、アニメとしての必然性まで浮かび上がっている。

さらに、アカデミー賞シーズンは丁度#MeToo運動が盛んだった為、アカデミー賞長編アニメーション賞のエキゾチック枠を『この世界の片隅に』が奪うのは不可能だったといえる。

さて、本題に入ろう。海外のアニメで、しかも少女が主役の映画でここまでハードコアな作品あっただろうか?タリバンないし、中東には男尊女卑の文化が残るというのは、中東に疎い人でも頭の片隅にあるイメージだ。しかし、ここで描かれている男尊女卑がその予想のはるか上をいくことに我々はドン引く、そして悲しくなる。女は出歩くと、蔑視の目で見られる。言葉を発するものなら暴力が飛び交う。苦しさのあまり、男として生きる女はパヴァーナだけではない。若くして女としてのアイデンティティを棄て、男として生きる。肉体労働をし、立ち振る舞いに気を使う様子。ここまで凄惨なのかと目を背けたくなる。そして終始男に殴られ、差別の目を向けられる少女の地獄絵図に心が苦しくなった。

また、少女は時として寓話に現実逃避するのだが、まさしく『パンズ・ラビリンス』。強固に社会の闇とリンクした寓話に背中からナイフを刺されたような気分になった。

ただ、この作品は決して他人事ではない。日本にだってあるではないか!中国、韓国人の帰化問題だ。在日朝鮮人は、差別から身を守るために自分の名前を日本名にすることがある。さらに、自分が朝鮮人だと分からないように、私生活では日本語を使いボロを出さないようにして生きる。一度、ボロを出すと意地悪な日本人から火炎瓶を投げつけられる。人生が立ち行かなくなる。ブンブンの友達に帰化した人がいて、彼らから差別の話を聞かされているだけに、これは日本も無視できない作品だなと感じた。

なので、私は『この世界の片隅に』の方が好きだが、本作が大切な一本であることに変わりない。

日本公開あるかも?


Netflix配信の作品は、原則配信後1年経たないと劇場公開できないらしい。しかし、本作を手がけたアニメーションスタジオ《カートゥーン・サルーン》日本公式によると、1年後に劇場公開を予定しているとのこと。

これは是非、多くの方に観てもらいたいぞ!!

※2019年12月公開決定!

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