【酷評/ネタバレ解説】「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」が劣化版「君の名は。」ですらなかった10の理由

岩井俊二版ってどんな作品だったの?

まず、本題に入る前に元ネタである岩井俊二版「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」について語る必要があります。

時は1993年。当時まだ無名だった岩井俊二が、フジテレビのドラマ「if もしも」の一話分を任された。これはあの「世にも奇妙な物語」のスピンオフ的企画で、ある物語の分岐点を境に2つの話を描くという斬新な縛りがあるものだった。そして、そこから出世した監督に「踊る大捜査線」シリーズの君塚良一がいることでも有名だ。

そして、岩井俊二はそこで「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を発表し、ドラマ作品にも関わらず、1993年度の日本映画監督協会新人賞を受賞。1995年には劇場版が作られ、その年に大傑作「Love Letter」も公開されたことから一躍有名になった。

さてそんな岩井俊二の「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は何が凄かったのか?それはシリアスな話にも関わらず、甘くて美しい作品になっていたところにあります。そして「if もしも」シリーズの欠陥である「何でもアリ感」をも無に返す圧倒的美しい映像がそこにあったからと言えます。

この辺の話も後に詳しく語りますが、リメイク版はそんな傑作を一気に地に堕とした。

さてお持たせしました。ここから10の側面で何故本作がダメダメかについて語っていきます。

ダメダメなポイント1:タイムリープに制約がない

まず、本作はTwitter上でも劣化版「君の名は。」と賞されている通り、どうしても「君の名は。」と比較せざる得ません。本作は厳密に言うとタイムリープものではないのですが(どちらかというと、「ミスター・ノーバディ」とか「メッセージ」、「スローターハウス5」のようなパラレルワールド寄りの映画)、東宝×川村元気×みずみずしい青春×タイムリープという明らかに二匹目のドジョウを意識した組み合わせ故に注目してしまうポイントです。

タイムリープものが何故ヒットするのか?それはファンタジーだから以前に、「青春」と「切なさ」を融合しやすいテーマだからと言えよう。細田守版「時をかける少女」しかり、「君の名は。」しかり、タイムリープ能力を得ることによって永遠だと思っていた「青春」が、あることをきっかけに失われていく。それがまさに、大人になってしまうことでもう過去には戻れない切なさと結びつくから若者だけでなく大人も惹かれる映画になっていると考えられる。

そして、ヒットするタイムリープものにはもう一つ仕掛けがある。それは「制約」だ。細田守版「時をかける少女」では、タイムリープできる回数の制限が、「君の名は。」ではコントロール出来ない入れ替わり(特殊な形のタイムリープ)という制限がある。また、ブンブンが大好きな映画「バタフライ・エフェクト」では、誰かを救おうとタイムリープすると、必ず誰かしら不幸になるという設定がある。

タイムリープはある種チート。何でもアリだと、観客は映画に対してどうでも良くなる。だからこそ物語に「制約」は必要不可欠だ。

しかしながら、本作には全くその制約がありません。主人公・島田典道が「もし、あの時こうしていれば」と強く念じながらガラス玉を投げると、ドラッグな映像が流れ、ifの形のフィラメントが恍惚とするフラッシュと共に島田典道が希望する時間軸へと飛ぶ、ただそれだけなのだ。

確かに「メッセージ」のようにあの何でもアリ感なラストでも絶賛される作品はある。もとい、岩井俊二版だって正直何でもアリ感はある。しかしながら、これらの作品には観客を惹き込んでしまう画があった。そんな「制約」が云々を考える間もない程、魅了するものがあった。

さてアニメ版にあるでしょうか?

ダメダメなポイント2:クセが強すぎる映像

アニメ版にはそれは全くありませんでした。あったのは、「君の名は。」を期待して観にいった観客を裏切りに裏切る気持ち悪い映像であった。強烈すぎる青い映像の前に映る人物たちがとにかくダサい、そして気持ち悪いのだ。肉体の一部を赤く染めた生々しさ、そして時折急に滑らかにヌルヌルと動くキャラクター。そして、建物と人物のサイズ感がシーン毎にバラバラなんじゃないかと思える不協和音さ。クセが強すぎるのだ。

これは後述する新房昭之率いるシャフト社製映画ってことを理解して観ても、相当キツいものを感じた。

ダメダメなポイント3:年齢設定の改変が改悪

さて、本作はリメイクだというところで当然原作からの改変ポイントが気になります。なんたって、元々映画版も45分しかないものを2倍の90分に引き延ばしているのだから当然改変ポイントはあるはずです。

本作、最大の改変ポイントは主人公達の年齢です。

岩井俊二版では小学生という設定が、本作では中学生となっている。たかだか数年の違いだろうと思うかもしれないが、大人の数年と子どもの数年は180度違います。

淡い恋愛も小学生、中学生、高校生では全く違うものがあります。小学生の恋愛というのは、「友情」というものがウェイトの大部分を占めます。実際に岩井俊二版は男同士の友情にフォーカスが当てられていました。なずな目線で観ると確かに愛の要素こそあれど、結局「友だち」としての関係にしか見えません。そして「君の名は。」のように高校生の恋愛となると、将来、進路を意識した愛になります。全く違う道を歩もうとしている二人が如何に愛を貫くかというところに切なさを覚えます。

さて、中学生の恋愛となるとどうでしょうか?中学生は思春期です。好きな女の子がいても、恥ずかしさから「好きじゃないフリ」をしがちです。それは「スパイダーマン ホームカミング」を観ると分かるとおり万国共通の思春期ならではの恋愛感情と言える。

なので、マーケティング的に主人公の年齢を引き上げたかったのでしょう。ただ、年齢を引き上げたら主人公達の行動も変えないといけません。それが、本作下手に原作でのアクションを忠実にやってしまう。それこそ安曇祐介が授業中に机の上に乗り、先生に怒られるとか、「5時に待ち合わせな!」と仲間に知らせる挙動とか忠実に再現してしまう。男子校ならまだしも、共学校でこんな小学生っぽい仕草を魅せられるとえっと思ってしまう。

それでもって、原作にはあった真夜中学校のプールに忍び込む、淡い描写を、海に変える下手なアレンジをしてしまっている。夜の学校に忍び込み、誰にもバレないように情事に励む背徳感を美しく描いているところが旨みだったのに、海に設定を変えてはそんな背徳感は演出できないわけで…

まあ、爆発シーンで、本来30分ぐらいで終わりそうな内容を2時間半に伸ばしまくっている「トランスフォーマー」シリーズに比べたら頑張っている方ですが、やはりマイナスベクトルの改変、引き延ばし感は否めない。

ダメダメなポイント4:もはやセクハラな脚本

本作の脚本を務めたのは、「モテキ」「バクマン。」の大根仁。彼が監督した「恋の渦」なんかも観ると、淡い青春からドロドロとした人間関係、そして童貞のどうしようもできない感情なんかも上手く演出できそうなイメージがある。

しかしながら、これっ対象年齢いくつ?と思うぐらい失笑する脚本であった。本作には下ネタが多い。教師のボインボインな巨乳に対してのセクハラ発言や、及川なずなの「家出してキャバ嬢やらになろうかな」といったハードすぎる台詞。もはや、なずなは歴とした魔性の女(=ファム・ファタール)やん!と思う危険な発言の数々に劇場は凍り付いていました。セクハラだと思い目を覆った観客もいたのでは?

「君の名は。」だって、胸を揉む露骨な描写、性的発言はメチャクチャ多かった。しかしながら、そんな描写も当時劇場では皆が爆笑していたさ。ギャグに勢いがあったから。それに、純粋に物語に惹き込まれたから。

本作は、男子生徒の「恥じらい」を意識するあまり、ギャグに勢いはない上に、そもそも物語として破綻している。

それにしても、息子が朝から一番搾りを出している最中に、母親がカレーの話をするというベダだけれどもいつの時代も微笑ましく笑わせてるギャグであそこまで劇場が凍り付いている(あるいはスルーされている)様子は、いたたまれなくる。

ダメダメなポイント5:そもそも破綻している物語

原作では、Aという人生もあるがBという人生もあるよという、ある種ドラマ/映画としての禁じ手を美しく、そして丸く収める形で説得力を持たせていました。しかし、アニメ版では、下記の4つの人生が平行している。

A.安曇祐介が水泳に勝つ物語
B.島田典道が水泳に勝ち、及川なずなと駆け落ちしようとするが、なずなの親に阻止される物語
C.島田典道が水泳に勝ち、及川なずなと駆け落ちに成功し、謎の空間に転送される物語
D.島田典道が不登校になる物語

島田典道が「もし、あの時~していたらなぁ」と思う度に無制限に時間軸を飛び越える。上記のように、「制約」がないので、タイムリープのインフレが起き、観客は次第に映画に対してどうでもよくなってきます。しかも、上記の通り、映像のクセが強すぎるのでこれまたどうでもよくなってくる。もはやDの世界軸に映る頃には、「はぁ」とため息しか出ません。

ダメダメなポイント6:それ以前に本作に「結」がない

それ以前に、本作に起承転結の「結」はあるのだろうか?一応、当ブログでは「島田典道が不登校になる物語」と結論めいたこと書いたのだが、そもそもその解釈すら怪しい。原作では少年達が美しき花火を観る大団円で終わるのだが、本作は島田典道が欠席し、先生が「典道君、典道君いないの?」と叫んで終わる、なんとも後味が悪い終わり方をするのです。

結局、及川なずなとの間に何があったのかもわからず、安曇祐介との友情もぶっ壊れたまま終わる。青春映画として、ここまで最悪な終わり方はないでしょう。「バタフライ・エフェクト」のように最悪な終わり方は最悪な終わり方でも、場外ホームラン級であればそれはカタルシスなのだが、それすらない。まるで頂上付近で緊急停車したまま動かないジェットコースターのように観客を宙ぶらりん置いてけぼりにしている。やはり、アニメ版も形は違えども終わらせ方は、あの魔空間でのガラス玉炸裂シーンの方が良かったのでは?まあ、急にガラス玉が巨大化して、酔っ払った花火師が誤ってガラス玉を発射し大団円という、岩井俊二版の改悪すぎる展開もどうかとは思うが…

↑まあ、この世には「この空の花 長岡花火物語」という狂った花火映画があるので、魅せ方を変えたら大傑作になったかもしれない。

ダメダメなポイント7:新房昭之映画だった

まず、なんでこんなにも酷い映画ができてしまったのだろう。そう考えたときに、総監督の新房昭之の名前が浮かんだ。新房昭之でみずみずしい青春映画を期待してはそもそもいけなかったのだ。新房昭之といえば、「魔法少女リリカルなのは」や「魔法少女まどか☆マギカ」「3月のライオン」といった一見、萌え系アニメ、目の保養になるアニメだと思って観ると内容がハードすぎて度肝を抜く、庵野秀明に次ぐ、いやそれ以上の鬱アニメ作家。日本アニメ界が誇るラース・フォン・トリアーだ。

そんな彼が手がけることによって、こんな狂ったアニメができあがってしまった。彼が率いるシャフトになんか画を任せるから、クセが強すぎる。とことんフェチズム全開で、常軌を逸した映像表現で満ちあふれた作品になってしまったのだ。それこそ、画のタッチは彼のワークの中で最もぶっ飛んでいる「化物語シリーズ」、当ブログでも紹介した「傷物語」に近いものを感じます。「傷物語」の吐き気がするほど(ファンの方々すみません)、気持ちが悪い肉体描写がそのまんま本作に活かされているので、そもそも「君の名は。」のようなアニメを期待して観てはいけないのだ。劣化版「君の名は。」と賞するのも次元が違う。

ダメダメなポイント8:川村元気×新房昭之がアウトだった

では、新房昭之映画と割り切って観るのはどうだろうか?結論から言うと、その観点で観ても微妙の極みであった。というのも、川村元気のプロデュース力が作品を邪魔をしているのだ。それこそ、「君の名は。」は新海誠映画特有のエモさを川村元気が上手く抜いたから成功した。「モテキ」だって、あんなに気持ち悪い童貞描写を絶妙なサブカルセンスでカバーした川村元気のてこ入れで成功したようなもの。

新房昭之を前に川村元気は為す術もない。岩井俊二、大根仁らしさ総て吹き飛ばす新房昭之節なのだが、下手に川村元気という名のブレーキが掛かっている為であろう、「傷物語」のようなカルト的吹っ切れ感がない。

すべてが中途半端でカルト映画にすらなれない感じがあります。「トランスフォーマー/最後の騎士王」のように、爆笑笑顔な最悪映画ならカルト映画として愛されるであろう。しかしながらアニメ版「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は失笑、失笑、そして失笑で段々と感情を失っていく虚無しかなかった。

ダメダメなポイント9:マーケティングが甘い

明らかにスタッフの選び方を間違えている作品。はやり、ここまで6000字徒然なるままに書き連ねていくと、「まずこの作品は誰に向けて描いているのか?ターゲティングは適切であったのか」というマーケティングの側面を気にしてくる。

「君の名は。」は完全に中高生向けに作った作品。それがたまたま社会現象レベルにまでヒットした奇跡の賜物だった。「シン・ゴジラ」も、「進撃の巨人」で大失敗した樋口監督ががちでゴジラクラスタを殺しにいく覚悟で作ったものが、これまたたまたま万人受けしてしまった奇跡の賜物だった。

どちらも、ターゲティングを行って、その上で奇跡的に成功した作品だ。

本作の場合、ターゲットは誰にあたるのだろう?中高生?オタク?オタク向けにしては声優酷くねぇか?中高生向けにしては、生々しすぎないか?大人向けとしては、恥ずかしいほどに幼稚な作品ではないか?

まさに「THE EMOJI MOVIE」がターゲティングの失敗による惨敗だったの同様。本作も、誰に向けて映画を作っているのかが見えない。大手映画会社の作る映画としては深刻なミスと言えよう。

ダメダメなポイント10:【考察】鬱過ぎるラストについて

さて、語りに語り尽くした感があるアニメ版「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」。もはや、劇中ガヤ役の少年たちが「花火なんて正直どっから見るかなんてどうでもよくなったわ!」と嘆いていることにヘドバンするほど同意だ。ただ、こう酷評するだけでは面白くない。

きちんとラストについてしっかりと解釈しておこうと思う。

本作はある種「ジョジョの奇妙な冒険 第四章 ダイヤモンドは砕けない」に近い怪奇映画と言える。それも帰らぬ人となったバッドエンドとして。

及川なずなという名のスタンド使いに嵌められた島田典道は、「ヘブンズ・ドアー(天国への扉)」というスタンドにより、安曇祐介との友情はメチャメチャのグッチャグチャに破壊され、なずなが創り出した愛の新世界に閉じ込められ、スクールライフという日常に帰ることができなくなった。なずなに延々と、思い出を搾取され続け終わるという内容と言える。

そう考えると、実は及川なずな=岸辺露伴という説が成り立つ。広瀬すず演じる及川なずなのエロチックで男を全力で魅了する(本作唯一の良かったポイント)様子も含めて、ジョジョ感がある作品であった。

最後に…

まさか、この作品で7000字も3時間かけて書くとは思ってもいなかった。それだけブンブンのココロヲ動かした映画だ。正直1,800円払って観る映画ではない。純粋な青春映画を求めるのであれば「スパイダーマン ホームカミング」を5回ぐらい観た方が充実した夏休みを送れるでしょう。デートで使った日には…と思うとココロが痛む。

ただ、観終わった後誰かと話したくなる作品であることは間違いないので、もし未見且つうっかりここまで読んでしまったそこの貴方。回れ右して是非劇場でこのアニメ版「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」をウォッチしてみてください。「トランスフォーマー/最後の騎士王」と互角、いやそれ以上のワースト映画。それも「進撃の巨人」や「ギャラクシー街道」とは違い、観客の意図しない形でたどり着いたレアすぎるダメダメ映画なので貴重ですぞ!

そしてアニメ版は嫌いになっても、岩井俊二版は…嫌いにならないでください!

以上チェ・ブンブンからのお願いでした。

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