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【卒論】「1970年代 デンマークポルノ映画がドグマ95に与えた影響」公開

【卒論】「1970年代 デンマークポルノ映画がドグマ95に与えた影響」公開

卒論を公開します

無事大学も卒業でき社会人にも
なったので、ここでチェ・ブンブンが
大学4年生の時に書いた
卒業論文を公開します。

「1970年代 デンマークポルノ映画が
ドグマ95に与えた影響」という
日本では誰一人研究していない
分野についての論文です。

実際に提出した論文は
下記よりPDFでもダウンロードできます。
(個人情報に関するところは変えてます)

研究等の参考にして頂ければ光栄です。
尚論文執筆等で本論文から
引用する場合は剽窃せず、
しっかり出典元を記載してください。
(論文:1970年代 デンマークポルノ映画がドグマ95に与えた影響」PDFダウンロード)

目次

はじめに
第1章 デンマークの歴史
 1.1 デンマークの誕生
 1.2 内乱の時代
 1.3 欧州動乱の渦中のデンマーク
第2章 デンマーク映画の歴史
2.1 映画史初期とデンマーク
 2.2 第二次世界大戦におけるデンマーク
2.3 戦後デンマーク映画
 2.4 ドグマ95とデンマーク
 2.5 ポストドグマ95の動向
第3章 1970年代デンマークポルノ映画研究
 3.1 日本の研究事情
 3.2 デンマークのポルノ映画史の始まりと終焉
 3.3 デンマークポルノ映画の分類
   3.3.1ドキュメンタリータッチ
3.3.1.1『ヘンリー・ミラーの性生活/クリシーの静かな日(1970)』
3.3.1.2『痴情の沼(1970)』
3.3.1.3『性私刑』
3.3.1.4『サーカス・ポルノ(1973)』
3.3.1.5文献より『WHY?獣色(1970)』『秘技ポルノ性史(1971)』
3.3.2 フィクション
3.3.2.1『新わたしは女(1970)』
3.3.2.2『歯科医・性の実験報告(1971)』
3.3.2.3『痴漢ドワーフ(1974)』
3.3.2.4『淫夢(1974)』
       3.3.2.5『白昼スワップ・午後の欲情(1975)』
3.3.3 1970年代デンマークポルノ映画総括
   3.4 デンマークポルノ映画の影響
第4章 結び

参考文献

はじめに

 本稿は、1970年代にデンマークで大量生産され、デンマーク国内だけでなくヨーロッパ、アメリカ、日本でも公開されたデンマークポルノ映画の変遷から、1990~2000年代の映画運動・ドグマ95に与えた影響を考察していくことを目的とする。
 デンマーク映画研究は、映画史初期のカール・テオドール・ドライヤーやベンヤミン・クリステンセンの時代、1990年代にラース・フォン・トリアーとトマス・ヴィンターベア主導で始まったニューウェーブであるドグマ95の研究が主となっている。しかしながら、この2つの時代の狭間である1930年代後半~1970年代に関してはほとんど研究されておらず、文献でもごく僅か程度しか述べられていない。それによると、デンマークでは第二次世界大戦中、ドキュメンタリー映画製作に力を入れていた。戦後、娯楽作品に力を入れるものの、興行収入が伸び悩み映画産業は斜陽に陥る。1969年にデンマーク政府は映画の検閲を廃止。ポルノ映画を解禁すると同時にポルノ映画大量生産の時代が始まり、1970年代にはデンマーク国内だけでなく海外に輸出。

日本でもデンマーク製ポルノ映画は公開された。1970年代ポルノ映画史に関して、日本では小松弘著『北欧映画完全ガイド』のコラムページ僅か1ページしか詳細が言及されていない。2016年に長澤均が書いたポルノ映画史に関する文献『ポルノ・ムービーの映像美学 エディソンからアンドリュー・ブレイクまで 視線と扇状の文化史』にもほとんど言及されていない状況である。
 しかし、1970年代には日本で15本のデンマークポルノ映画が公開され、さらに当時日本で公開されたデンマーク映画は1979年に公開されたカール・テオドール・ドライヤー監督の『奇跡(Ordet,1955)』を除き総てポルノ映画であることが分かっている。つまり、ジャンル映画としてデンマークポルノ映画は社会的地位を獲得していたにも関わらず、日本のデンマーク映画研究では軽視されていた。これほどまでにジャンルムービーとして成功を収めたデンマークポルノ映画は、後世のデンマーク映画史に何らかの影響を与えた筈である。現に1970年代デンマークポルノ映画研究を行ったモーテン・シングは『DANSK PORNO/DANISH PORN』で、ラース・フォン・トリアーの作品に影響を与えたと言及している。ともすれば、彼が始めた運動・ドグマ95の作品群にも影響を与えたのではないだろうか。そこで本稿では、1970年代のデンマークポルノ映画史を紐解くと共にデンマークポルノ映画がドグマ95に与えた影響を考察していく。
 デンマークは映画史を含め、アメリカやフランスの文化史研究と比べると研究は進んでいない。つまり本稿を書くにあたり、大まかな歴史や文化について言及する必要がある。そこで第1章ではデンマークの歴史について述べる。第2章ではデンマーク映画の歴史全体について述べる。そして、第3章では1970年代デンマークポルノ映画史を国内外にある文献・映像資料の調査結果を基に明らかしていき、ジャンル映画としてデンマークポルノ映画の特徴を体系化した上でデンマーク映画史に与えた影響を論じていく。そして第4章では結論と、残された課題について言及していくものとする。

第1章 デンマークの歴史

1.1 デンマークの誕生

 まず、映画史について語る前にデンマークについて言及する必要がある。デンマークはヨーロッパ北部にある大小483に及ぶ島から成り立っている。大きさは九州ほど、人口は2016年時点で約570万人と兵庫県ほどの国である。野村武夫著『「生活大国」デンマークの福祉政策』によると、「国土の大半が肥沃で平坦な氷堆石(モレーン)による丘陵性の大地が広がっており、そのうえデンマークの最高地点が約170メートルしかないため、国土の90%が耕作に地に適している。(中略)カリブ海から流れて沿岸をめぐる暖流(北大西洋海:通称メキシコ湾流)のおかげで最も寒い2月で平均気温がマイナス2度程度、最も暑い7月でも平均気温17.8度である。したがってヨーロッパ北部に位置するとはいえ、比較的穏やかな気候に恵まれている。デンマークが世界有数の農業国となった原因としては、このような地理的条件に恵まれたことが大きい注2 」とのこと。ほとんど同緯度であるロシアの2月の平均気温がマイナス10度であることから比較的温暖と言える。母国語はデンマーク語で、主要宗教は福音ルーテル派である。福音ルーテル派とは、マルティン・ルターを主導としたプロテスタントである。
デンマークの誕生は8世紀頃と言われている。浅野仁、牧野正憲、平林孝裕編「デンマークの歴史・文化・社会」によると次のように解説されている。

「ダンマーク(Danmark)〔デンマーク〕はデーン人のマルク(marc)の意味で、また『マルク』という語の古い意味は、人の住まない境界地域であることから、ここでのマルクはユラン半島の最南部に広がる荒野の地域であったと思われる。一地方の名に過ぎなかったこの『デーン人のマルク』が、次第にデーン人の居住域全体に適用されるようになったのである。この現象は900年以前に生じていた、と推測されている。というものも、アングロ=サクソン人のアルフレッド大王(在位871-899)の翻訳書に、文献上初めてデンマークという名称が現れているからである。注2 」

当時のデンマークは、ヴァイキング時代であり、見知らぬ国へ航海を行い、略奪を行った。ヴァイキングが他の土地で略奪を行った背景について諸説あるが、主に一夫多妻制による人口増加説、商業技術の未整備による海賊行為の横行説が有力だとされている。
デーン人からなるヴァイキングは、イングランドやフランスの文化や技術等を略奪した。そして、宗教も自国に取り入れた。かつてデンマークではアース神を信仰していたのだが、ヴァイキングの中にはキリスト教徒へ転身する者も多かった。ヴァイキングは当時の北欧政治も牛耳っていたため、やがてデンマークの人々はキリスト教徒へ転身していった。拍車をかけるように、キリスト教会は勢力拡大するべく北欧にアプローチを仕掛ける。例えば、フランスの修道院で育ったアンスガー(Ansgar,801-65)は数度にわたりデンマークやスウェーデンを訪れ、布教活動を行い、後にハンブルクの大司教になった彼は、当時ヴァイキングが奴隷として扱っていたデンマーク人の少年達を買収する形で解放。解放された少年達にキリスト教教育を施した。
 そして、次第にデンマークの人々がキリスト教徒化していく中、さらにその動きを加速させる出来事が発生した。11世紀、オーロフ王(Oluf I Hunger,?-1095,位1086-95)が統治する時代、長年に渡る大飢饉に見舞われた。人々は、全時代の王で敬虔なキリスト教徒のクヌーズ聖王(Knud,1095?-1131)が聖職者たちを賄う為に課した穀物やバター、卵といった食物に対する税に反発し殺した罰だと考えるようになる。そしてクヌーズ聖王を評価するようになり、キリスト教への理解も浸透した。

1.2 内乱の時代

 しかしながら、デンマークでは内乱と侵略により不安定な時代が長く続いた。オーロフの弟の息子クヌーズとオーロフの弟ニルス(Nils,?-1134,位1104-34)の息子マグヌス(Magnus,?-1134)による政権争い、スラブ人移民ヴェンド人の襲撃で国は衰弱していた。12世紀後半、ヴァルデマ大王(Valdemar Iden store,1131-82,位1157-82)が積極的なヴェンド人の侵略に対し応戦。和平協定を結び、ようやく平和の時代が訪れた。荒れ地を開墾し、敵の侵略を防ぐためにシェラン島南部ヴォーディングボーや小さな漁村ハウンにまで砦を築きあげた。そして、国力を上げていき、1219年にエストニアを征服。北ドイツも支配に成功しデンマークは「バルト海の覇者」と呼ばれるようになった。14世紀になると、ハンザ諸都市がデンマークを敵視するスウェーデン等を取り込み77都市に及ぶ大同盟を結び再び苦境に立たされる。対抗すべく1397年、デンマークはスウェーデン、ノルウェーとカルマル同盟が結ばれ、有事の際に支援し合う関係を構築した。
 15世紀に入るとグーテンベルク(Johannes Gutenberg,1398-1468)が活版印刷術を発明、1495年に『デンマーク韻文年代記』がデンマーク初の書物として出版される。活版印刷術のおかげで、聖書も庶民の手に渡るようになった。そして、16世紀初頭、教会に対する批判が集まるようになった。そして、サン・ピエトロ大聖堂建築費用を集める為に、贖宥状を販売することに対し、マルティン・ルター(Martin Luther,1483-1546)を中心に批判の声が強まり宗教改革が始まった。ルター派のクリスチャン3世(ChristianⅢ,1503-1599,位1534-1559)がデンマーク王に就いたことから、本国でも宗教改革が積極的に行われた。まず、カソリックの司教を投獄。教会の礼拝・歌唱はラテン語からデンマーク語に変更となった。この改革以後、デンマークの国教は現在に至るまで福音ルーテル派となった。やがてカソリックとプロテスタントの軋轢は大きな溝を生み、1618年からヨーロッパ広範囲に及び三十年戦争が勃発した。当時デンマーク王であった、クリスチャン4世(ChristianⅣ,1577-1648,位1588-1648)はルター派であった為、プロテスタント側についた。30年にも及ぶ長い戦争で国力は疲弊し、終戦後国土の多くが無人となり、デンマークは多大なる債務も抱えることとなった。そこで1660年、フレゼリク3世(Frederik Ⅲ,1609-70,位1648-70)は世襲王国となり、全国民から税を徴収するシステムを構築。新態勢で新しい時代を迎えようとした。しかし、新体制は成功しているとは言い難いものであった。戦争にはいくつか勝利はしていたものの、官僚は汚職にまみれ、街にはゴミが溢れる。本が徹底的に検閲されデンマークの文化は退行していた。その一方でクリスチャン7世(Christian Ⅶ,1749-1808,位1766-1808)が専属の医者ドイツ人医師ストルーウンセ(Johan Friedrich Struensee,1737-72)と共に出版の自由、拷問の廃止を行い、少しずつデンマーク情勢は改善されていった。

1.3 欧州動乱の渦中のデンマーク

 デンマークに平穏が訪れる19世紀、今度はナポレオンがヨーロッパ侵略を活発化させ、フランスとイギリスが対立する構造が生まれる。そしてデンマークはどちら側の味方につくかで苦渋の選択を迫られる。そして、イギリス側につくことを決断したデンマークであったが、イギリス側の誤解により、デンマークが敵視され砲撃、窮地に立たされた。ナポレオン軍の救済により、征服こそ免れたものの、ノルウェーを失う。また、多額な借金を抱え、国内ではインフレが横行。イギリスがデンマークの産物を締め出したことで、長年貧しい状況を抜け出せずにいた。貧しい国故に、周辺諸国の様子を伺う外交が中心を占めるようになり、時としてヨーロッパ情勢の渦中へ飲み込まれるようになる。第一次世界大戦において、デンマークは、中立の立場に立ち、食料をドイツ、イギリスに提供した。またノルウェー、スウェーデン政府と会談を開き、スカンジナヴィア諸国の連帯を図った。1929年アメリカから始まった世界恐慌により、不況の波がヨーロッパにも押し寄せると、デンマークの食料品輸出量が激減し農業危機が発生する。
ヒトラー(Adolf Hitler,1889-1945)台頭により、1940年デンマークはナチス・ドイツに占領される。ドイツ軍に抵抗するべくレジスタンスが結成されたものの、密告者により粛清され、またユダヤ人狩りで多くの国民が犠牲となった。戦後、デンマークはアメリカのマーシャル・プランによる援助で少しずつ復興を目指す。世界恐慌時に不況対策として、スタインケ社会大臣(Karl Kristian Steincke,1880-1963)が築き上げた社会保障制度を守り着実に成果を上げてきた。徹底的な所得再分配と工業に政府は力を入れた。野村武夫著「『生活大国』デンマークの福祉政策」によると「1950年代後半から60年代には平均経済成長率が年5%に達するという黄金期を迎えた。注3 」とのこと。また、1960年代に介護が必要な高齢者用の老人ホームのような施設「プライイェム」が整備されたことで、次第に福祉が整っていった。そして、1978年「男女雇用平等法」制定により女性の地位が向上。地方分権化を積極的に行うことで、公共サービス事業の雇用創出に繋げた。そして、1993年にEUに加盟するものの、福祉サービスの質を維持するためにユーロ導入を見送った。2012年、2013年連続、国連の持続可能な開発ソリューション・ネットワークが発表する世界幸福度ランキングで1位を獲得し、2015年は3位へと下落するものの、2016年には再び1位に返り咲き、国民の多くが幸福を感じている国となった注4。近年福祉国家の質低下を防ぐため、移民や難民の受け入れをレバノン等の規制するようになり、昨年9月、移民・統合・住宅省はレバノンの新聞に難民流入阻止広告を載せ、物議を醸した。
つまり、デンマーク映画史を総括すると、今となっては幸福度ランキング上位であり、且つ福祉国家という「幸福」のイメージが強い国だが、それは氷山の一角に過ぎず、常に侵略の歴史にさらされており、国内が荒廃としていることが分かった。次章では、デンマーク映画史のアウトラインについて述べていく。

→NEXT:第2章 デンマーク映画の歴史

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