【ネタバレ解説】「アズミ・ハルコは行方不明」少女ギャング団、グラフィティ集団に影響与えた映画etc

アズミ・ハルコは行方不明(2016)

アズミ・ハルコは行方不明

監督:松居大悟
出演:蒼井優、高畑充希、太賀、
石崎ひゅーいetc

評価:65点

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TOHOシネマズのフリーパスで
なんか良い作品ないかなーと
検索していたら、
TOHOシネマズ流山おおたかの森で
「シークレット・オブ・モンスター」
「アズミ・ハルコは行方不明」
「RANMARU」

の3本立てが出来ることが発覚。

つくばエクスプレスに乗り
オール・ザ・ウェイ
やってきました(*^_^*)
今回鑑賞した
「アズミ・ハルコは行方不明」は
東京国際映画祭で上映された頃の
Twitter上の反応が、なんか
モヤモヤした感じで、
傑作でも駄作でもない、でも
記憶に残る作品っぽい印象を
受けたが果たして…
※今回はネタバレ記事です

「アズミ・ハルコは行方不明」あらすじ

山内マリコの同名小説の映画化。
安曇春子28歳OLが失踪した。
失踪事件をきっかけに、
グラフィックに目覚めた
男二人組と
女子高生ギャングが平凡な街に
嵐を巻き起こしていく…

感想:変な映画

まず、先に感想を語っていく。
ひじょーに変な作品でした。
と同時に、カルト的人気が
出そうな程ポップで愛らしい
映画であった。

とある地方都市で、
街を歩けば冴えない学生時代の
同級生と遭遇しっぱなしの
息苦しい世界から抜け出したいと
思っているOL安曇春子の
失踪までの日々と
彼女が失踪した世界で
まるで「台風クラブ」
ように荒れ狂う女子高生、
若者の日々が時系列
グチャグチャで描かれ、
どのエピソードもえっつ
という形で終わるのだ。

ただ、当ブログでも
絶賛した「サウダーヂ

」同様、
田舎者の別世界に対する
「憧れ」がノスタルジックな
映像で語られるので、
観ているうちに
熱がこみ上げてくるのだ。

しかし厄介なのが、
「アズミ・ハルコは行方不明」
を観終えた直後に無数の?
が出てきて、興奮しているのに
その実態が掴めないという
ところにある。

今回は、本作の変なところも
含めて解説&解釈していこうと
思う。

安曇春子は何故失踪したのか?

安曇春子は田舎町の商社で
OLとして働いている。
助平な上司にこき使われ、
「カレシいるの?結婚するの?」
とセクハラに遭う。
上司や社長は手取り月収100万円に
対し彼女は10万で細々と暮らしている。

スーパーやコンビニに行くと、
学生時代の同級生とばったり
あって、その度に「今何しているの?」
と訊かれる。

狭くて、濃くて退屈な世界から
いかにして脱出するか?
と考えたときに、
自殺ではなく、「存在を消す」
という方法を彼女はとった。

彼女の生きる世界から、自分を
消す。会社の人や同級生が
そのうちアズミ・ハルコを
目撃したときに、幸せそうな
自分の姿を魅せることで
復讐するんだという
モットーのもと暗躍していた
と考えられる。

男二人組は何故グラフィティに
目覚めたのか?

ユキオが彼女アイナに
買わせたDVDは
「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」
という作品である。

この作品は、バンクシーという
覆面ゲリラ・アーティストが
映画監督の男を
アーティストにしようと
プロデュースする映画。

とにかくバンクシーは
仕事が早く、
いつの間に街中に
クールなアート作品が
置いてあったり、
いたずら描きがされてたりする。
そして警察に捕まらないのだ。

そのゲリラ的活動に惹かれ、
相方とグラフィックを始める。
最初は、しょぼい文字アート
しか出来なかったのが、
交番に貼られていた
アズミ・ハルコ行方不明
のポスターからインスパイア
された作品を町中に
描いたらSNSで大反響し
一躍有名になる。

彼らにとって、
田舎という息苦しく
貧しい空間から抜け出す
手段としてグラフィティを
選び、喧嘩はあれど
最終的にビッグプロジェクトを
任せられる。

女子高生ギャングとは何か?

劇中で全く正体も、
個人の心理描写も描かれない
女子高生ギャング。

ブンブンが考察するに、
あの娘たちは、
「自由の鳥」のような
存在として使われているのでは
ないだろうか。

安曇春子も男二人組も、
しょぼい同級生とどんぐりの
背比べしているような
暑苦しくつまらない、
そして貧しい場所から抜け出したいと
考えている。

そんな中に登場した女子高生ギャング。
彼女は警察や社会の目を気にせず、
自由奔放に嫌なヤツに対し復讐する。

安曇春子は劇中で一度、
女子高生ギャングに交ざろうか
どうか悩むシーンが
あることから彼女たちは
「自由」のシンボルとして
使われているのだろう。

そう考えると、
ラストの警察との攻防
も納得がいく。

それでもなぁ~

原作を読んでないのでなんとも
言えないのだが、
女子高生ギャングを
マクガフィンとして
使うよりもタイトルにあるように
アズミ・ハルコをマクガフィンとして、
彼女に影響を受ける過程で
女子高生ギャングや男二人組が
閉鎖的な社会から飛び出す話に
した方が良かったのではと感じた。

やはり、アズミ・ハルコ描写がかなり
深く描かれたせいでタイトルの
重みが薄くなってしまった。

それこそ「バニー・レークは行方不明」
のように、行方不明者を完全
シンボル化、仕掛けの一つ
として使った方が物語として
面白い気がした。

とはいえ、
ギャグにシネフィルの斜め上を行く
変なストーリーテリングを
ポップで派手な色彩で包みこんだが
故にカルト感が出て面白みが
滲んでいる作品なのは間違いない。

これはまたどこかで観たいぞ!

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