【カンヌ国際映画祭特集】「軽蔑」2016年のポスターにもなったゴダール映画

軽蔑(1963)
LE MÉPRIS(1963)

監督 :ジャン・リュック=ゴダール
出演 :ブリジット・バルドー、
フリッツ・ラング

評価:80点

今年のカンヌ国際映画祭のポスターがゴダールの「軽蔑」からの引用ってことで観てみました!
カンヌ国際映画祭

軽蔑 映画


カプリ島でのこのシーンを引用

1960年代のセクシー女優BBことブリジット・バルドーや「メトロポリス」や「M」などを手がけた巨匠フリッツ・ラング
をキャスティングする異色さが特徴的な作品だがいかに…

「軽蔑」あらすじ


名匠ジャン=リュック・ゴダールがスター女優ブリジット・バルドーを主演に迎えて手がけた長編第6作。イタリア人作家アルベルト・モラビアの同名小説をもとに、ある夫婦に訪れる愛の終焉を、斜陽化の進むヨーロッパ映画産業の問題と絡ませながら描いた。脚本家のポールは映画プロデューサーのプロコシュから、フリッツ・ラングが監督する大作映画「オデュッセイア」の脚本の手直しを依頼される。ポールと妻で女優のカミーユはプロコシュの自宅へ招かれるが、ポールが遅れて到着するとカミーユの態度はなぜか豹変しており、彼に対して軽蔑のまなざしを向ける。やがてポールとカミーユは映画のロケのため、カプリ島にあるプロコシュの別荘を訪れるが……。脚本家ポール役を「昼顔」のミシェル・ピッコリ、映画プロデューサーのプロコシュ役を「シェーン」のジャック・パランスが演じる。巨匠フリッツ・ラング監督が本人役で出演。日本初公開は1964年。2017年9月にはデジタルリマスター版が公開。
映画.comより引用

「オデュッセイア」の翻訳

本作はストーリーの基礎と呼ばれているホロメスの「オデュッセウス」を多層構造で描いた作品だ。「オデュッセイア」はあるきっかけで地獄の淵に追い込まれた男オデュセウスが命がけで生還するカタルシスを描いた作品だ。本作は、フリッツ・ラングが「オデュッセイア」を映画化する様子をベースにした映画だ。

ゴダールお得意の引用も健在冒頭から、カイエ・ドゥ・シネマの名評論家アンドレ・バザンの「映画とは欲望を映し出したもの」という発言を冒頭に持ってくる。

「オデュッセイア」という口承文学をいかにして映像化しようとするのかというシーンと主人公が恋愛において窮地に陥る様子に「オデュッセイア」性を反映させていく様子をかませていく。

そしてセクシー女優ブリジット・バルドーの彫刻さながらの肉体を前面に映し出すことで冒頭の引用を回収する非常に高度な脚本を展開している。それでもって、ラスト。「オデュッセウス」ものという定石を外す。

ゴダールの作品群の中でトップクラスなまでに、洗練された無駄のない映画となっている。

「オデュッセイア」と「ユリシーズ」

「オデュッセウス」についてもっと掘り下げてみる。

本作は「オデュセイア」をジェームズ・ジョイスはある男の一日に凝縮して描いた「ユリシーズ」で見事に翻訳してみせた。本作は口承文学、文学であり演劇でもある「オデュセイア」を映像として翻訳して魅せた。ある脚本家の数日に「オデュセイア」を当てはめて描いて魅せたのだ。アンドレ・バザンの欲望説に当てはめ、徹底的に家具や肉体の描き方に注意を払う。撮影監督に名匠、ラウール・クタールを起用することでモダンなライフ、文化的人生を表現。人々の憧れの生活を描写している。

ゴダールは常に、「映画とは何か?」を徹底的に批判し、映像化してきたのだが本作ほど、キレッきれな作品にブンブンは感動を覚えたのであった。

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