“Ç”アメリカ発大人向けアニメ会社LAIKAデビュー作「コララインとボタンの魔女」

コララインとボタンの魔女
(Coraline)

コラライン

監督:ヘンリー・セリック
声の出演:ダコタ・ファニング、テリー・ハッチャーetc

評価:80点

先日学校の授業で、
「コララインとボタンの魔女」
久しぶりに観た。

最近、学会提出用の動画作りで
アニメーションを作っていた
ブンブンにとって
凄く興味深い作品でしたぞ!

ティム・バートンのソウルを受け継ぐLAIKA社

2005年の「ティム・バートンのコープスブライド」
手がけ成功を収めた新興アニメーション会社ライカ。
そのライカ社が初めて主体となって作った作品が
「コララインとボタンの魔女」である。
ライカ社の魂の根源にはティム・バートンの
存在が大きいため、本作は濃厚に
ティム・バートンのダーク・ファンタジー要素を引き継いでいる。

 元々、ファンタジーは大人が子どもに道徳を植え
付けるための手段として存在しており、
それこそ原作のグリム童話は残酷描写が
介在するものであった。本作は、旧来のおとぎ話を
彷彿させる内容となっている。家族のことが嫌いな
少女が、空想の中で自分の理想の
世界に入り込むが同様に現実を少しずつ失っていく。

現実に対して盲目になるか、嫌いだけれども現実を受け
入れるかをオデッセイアさながらの地獄旅行を通じて悩み、
そして現実を受け入れる。まさに保護者が子どもに
期待していることである。親も子どもも相手を選べない。

子どもは親の言うことに従え。そのような
プロパガンダを植え付けるにはもってこいの作品といえる。
子どもにはトラウマである「春琴抄」さながらの、
「針」のシーン。本作では、露骨なヴァイオレンスは一切存在しない。
しかしながら、観る者の脳内にヴァイオレンスを
想像で生み出し恐怖を生み出す。この演出技法にライカ社の腕が光った。

 例えば、霧のシーン。ストップモーションアニメなら
綿を使ってポップにする手法が存在するが、
本作では霧を撮影し合成させている。
そこには、現実と仮想の境目を意識させる
目的があるのではと思う。最近のSF映画は
「インターステラー」のように、
なるべくCGを使わないように現実のありものを
使おうとしている。その訳として、
現実味が帯びるからだ。
「2001年宇宙の旅」のようにリアリティを持たせる。
よって、CG合成するにしてもなるべく現実にあるものを
組み合わせることで、映画の世界がひょっとして自分の
周りでもあるかもしれないという感情を生み出させる。
現に、洋服も細かく作り出している。
細部まで手で作り込んでいる作品に
綿のような「そのもの」は必要ない。

 本作が映画人の間で評判となり、十分な興行収入を獲得、
アカデミー賞長編アニメーション部門に
ノミネートしたことからアメリカのアニメに
対する考えが変化しようとしている。
従来までのアメリカでは、アニメ=子どものものという
方程式が成立し、大人向けで残酷な内容の作品は
アカデミー賞長編アニメーション部門に
ノミネートすらできなかった(そう考えると、
少女が風俗で働く「千と千尋の神隠し」が
受賞したことは事件であった)。しかしながら、
「ティム・バートンのコープスブライド」以降からこの手の
作品もノミネートするようになった。
まさにライカ社によってアメリカの
アニメ映画界は変わったのではと考えられる。

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