“Ç”残酷な双子が恐ろしい…「悪童日記」

悪童日記(LE GRAND CAHIER)

悪童日記

監督:ヤーノシュ・サース
出演:ギーマント兄弟、ピロシュカ・モルナールetc

評価:65点

先日、ノーベル文学賞の発表があり
恒例の村上春樹とトマス・ピンチョンは
落選となった。
んで、今回受賞したのはベラルーシの
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ
(Светла́на Алекса́ндровна Алексие́вич)。

ウクライナで誕生するものの、
後にベラルーシに移住。
ジャーナリストとして活躍し、
政府からの圧力と戦った人だ。

今回紹介する「悪童日記」もそうだが、
東欧の人って様々な動乱や抑圧と
戦う手段として芸術を使う傾向がある。
ヤン・シュヴァンクマイエルなんかは
シュールなアニメにメッセージを
隠してたりする。

それでは、「悪童日記」を
観ていくとしよう…

恐ろしい少年

少年が狂気に陥る作品はいつ見ても、
どうやって演技をさせているのだろうかと疑問に思う。

「未来を生きる君たちへ」で報復に生きる少年
クリスチャンを演じた男の子や「炎628

」で
戦地に送られダンテの「神曲」さながらの
地獄巡りをさせられた少年兵など観るものを驚愕させる。

そして総じてこの手の作品に出演する少年は、
それ以後の活躍がない。さて、今回鑑賞した
「悪童日記」はギーマント兄弟が狂気の双子を演じ、
またしても我々を驚かせた。
 アゴタ・クリストフ原作のこの作品は、
ありふれた戦争映画とは違う。戦地にはいかない。
どちらかというと「火垂るの墓」に近い、避難映画だ。
しかしながら、「火垂るの墓」とは違い、
強烈な「死」と隣り合わせの恐怖は強調して描かれない。

故に、観ているものは勝手に特訓でもって
狂気の沙汰に囚われてくる双子を直視することとなる。

間接的戦争の悲劇

冷淡で意地悪なホストマザーも狼狽する双子…
そこから見えてくるのは「社会が、
空間が人の心を操るシステム」である。

よく、家庭内暴力を受けている少年が
学校で他の生徒をいじめるといった
問題がメディアで報道される。
どんなに選挙に投票しようとも
世の中を変えられないから、
若者の心にいらだちの茨が芽生え、
デモが発生し、どんどん過激になる。
まさに「悪童日記」では、直接戦争とは関わってない
双子が戦争により荒んだ大人の理不尽な
振る舞いに感化され邪悪に支配されていく
様子が捉えられている。

日記の描写

そして、その邪悪が日記にシンボルとして
反映していると思われる原作。故に日記の描写を
いかに描くかがこの作品の肝である。
そして、ヤーノッシュ・サース監督は色を
どこから調達してきたのだよと思うものの、
不気味に彩られ、写真や虫まで
貼り付けたノートをモンタージュさせて
何度も強調し映し出すことで上手く表現している。

例えば、双子が訓練の一環で虫や動物を殺すシーン。
虫の標本が丁寧にノートに張られている。
この描写を強烈に魅せた後、観客が忘れた頃に
収容所で虐殺された人々の絵を魅せることで
観客の心にぞわっとするような恐怖を植え付けることができる。
また、小さい虫を殺すシーンの後、
双子が鶏を殺してホストマザーに魅せるシーンをリアルに
表現することで、感性を失ってくる様子を見事に演出している。

このように、計算された表現技法で戦地に
いなくても人々の心が闇に蝕まれる、
少年たちの心も邪悪に支配されることを演出しているのだが、
それ故にラストの父親殺しのシーンは惜しいところを感じた。
突如帰還した父親。父親に教えられた言葉が
双子を強くしすぎてしまった。
双子は親離れをする為に、父親を地雷探知機として使う。
しかし、そのシーンだが父親に地雷を踏ませても
他に地雷が埋まっているのでは、
何故父親は双子を置いて亡命しようとしたのかと
いった疑問が多く残ってしまう。
説明不足を否めないシーンとなっている。
故に父親殺しは鶏と同様に直接的にしたら良いのではと感じた。

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