【レポート】ヒップホップ誕生の歴史

ヒップホップ=悪の方程式の起源は?

このようにして成立したヒップホップだが、『8Mile』や『ドゥ・ザ・ライト・シング』といったヒップホップがサウンドトラックとして使われる映画を観ると社会に対する不満をぶつけるラップが多いことに気づく。ヒップホップとは自己、あるいは自己が所属するグループのアイデンティティと社会に対する不満をラップに込めて表現するジャンルだと考えられる。何故なら第一に、日本のヒップホップ映画『サイタマノラッパー』シリーズでは埼玉県の悲惨さ、哀愁、東京に対する不満が歌われている。また、2011年に公開された『サウダーヂ』でもヒップホップを通じて年金問題や外国人労働者の悲痛を訴えていたことから国を超えてジャンルを共有していることがわかるからだ。

ヒップホップ創世記の1970年代のブロンクス。1950年代から1960年代に行われたブロンクス高速横断歩道の建築による住民強制移住につき貧しいアフリカ系アメリカ人やヒスパニックが高速道路南側の低所得者用高層公営住宅に移り住み、ギャング団が多く作られた。さらに追い打ちをかけるように不況の波が押し寄せたことでスラム化が進んだ(注2)1975年、ズール・ネイションが立ち上げられる。これはアフリカ・バンバータが暴力やドラッグに溺れるブロンクスのギャングたちの目をヒップホップに向けさせ脅威を減らす目的で立ち上げられた運動であり、黒人に対し恐怖の対象として報道するメディアに対しラップで政治的主張を行うことで若き黒人のアイデンティティを形成していった。(注3)

そして、シュガーヒル・ギャングやパブリック・エネミーなどといったグループがブロンクスのアフリカ系アメリカ人のコミュニティーの外で活躍するうちに、「ヒップホップは政治的メッセージを歌う反社会的黒人集団のもの」というイメージが大衆の間に広まり、現在でも上記のイメージに合うよう演じている。(注4)その原因を森正人が『大衆音楽史』で「ラップとそのファンに関するイメージの特定のステレオタイプと、その不断の再生産が関係している。(注5)」と述べている。つまり、黒人に対する凶暴さをたびたび報道したことで、大衆にとって黒人は凶暴な人種であることが植え付けられ、そしてヒップホップは黒人による音楽ジャンルであることが結びつき上記のようなイメージが世間に普及したのだ。つまりヒップホップとは、貧しいアフリカ系アメリカ人が作った娯楽であり、彼らが犯罪から足を洗うきっかけを作ったにも関わらず、依然として現代も反社会的な存在としてヒップホップが位置づけられ、アフリカ系アフリカ人への差別意識が未だ残っている音楽ジャンルと言える。

 

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