“Ç”「バードマン」の原作(?)「愛について語るとき我々の語ること」読む

愛について語るとき我々の語ること

What we talk about when we talk about love

著者:レイモンド・カーヴァー
バードマン

「バードマン」でマイケル・キートンやエドワード・ノートン
が演じた劇の原作がようやく図書館から届きました(*^_^*)

文学界でミニマリズムを追求した男レイモンド・カーヴァーの
短編小説である。
ミニマリズムとは、徹底して文章を飾らない。
場面もバーや店と1,2つの場面固定で物語が
進みアンチ壮大さな物語を展開する。

このレイモンド・カーヴァーの短編集では、
本当に比喩をゼロに近い形で物語を
構成。事実と台詞だけで構成していくから、
独特の重々しさを感じると共に、
どこか軽快な雰囲気もあるため
困惑する。

愛について語る

その短編集の後半にある、
「愛について語るとき我々の語ること」
は、この短編集の中で最も
哲学的な話だ。

医者の家で、
愛について議論する。
ある女性はDVを受けていることを告白。
仲間は、「それは愛とは言えない」と語るが
彼女は「愛を感じたと」言う。

それでディスカッションを始める。
周りの人はDVした人のことを知らないから
客観的に「愛はない」と断定できるが、
当事者になると主観的になり
「愛がある」と論を展開する。

タイトル負けしない、
非常に奥深い論で小説を読んでいるのに、
新書を読んでいる感覚だ。

「バードマン」で何故使われたのか

バードマン

この短編の中でも、冒頭の会話のシーンと
妻を別の男に奪われた夫の自殺エピソードに
フォーカスを当て、「バードマン」は描かれる。

何故、この作品を選らんだかと考えると
恐らく、まず「バードマン」という物語を
壊さない程度の小品を選ぶ必要があったこと。
そして、レイモンド・カーヴァーの重々しくも
ジャズっぽい、そしてアートっぽい作品を
考えた時にこれを思いついたのであろう。

そして、この「愛について語るとき我々の語ること」
がこの短編集の中で最も哲学的で
ドラマティックだったから選んだのであろう。
副題のThe Unexpected Virtue of Ignorance
(ちゃんと訳すと:無知がもたらす予期せぬ美徳)
とも見事にテーマが一致する。

The Unexpected Virtue of Ignorance

「バードマン」も「愛について語るとき我々の語ること」
も共通して会話が中心の物語である。
会話や討論を通じて、自分の知らないことが
浮き上がってくる。

そして、会話の中の仮想世界が現実となる描写を
「バードマン」に盛り込むことで、
主演のマイケル・キートンや助演のナオミ・ワッツ
の俳優人生と作品がリンクしていることを
一貫して伝えることに成功したと言えよう。

小説では、銃を自分の口に当てるが、
映画だと顔の横にあてる。
その理由も、小説を読み終えたとき
わかった。

ってか、マジで今回のアカデミー賞作品賞受賞作
難解なドラマやんw

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